北海道に共和国ってあったの?蝦夷共和国について調べてみた~箱館~

蝦夷共和国は時代の変革の中で誕生、箱館戦争の終結までと短いながらも存在した旧江戸幕府軍勢力による事実上の政権です。

蝦夷共和国は蝦夷島政府を指す俗称の1つで、蝦夷政権や箱館政権、北海道共和国とも呼ばれます。
五稜郭がある函館市は、明治2年に蝦夷地が北海道へと改称、1879年に郡区町村編制法施行で函館区に。

大正8年の1919年には、お世話になっているサーフポイント椴法華村が市制施行で函館市になりました。

旧幕府軍の蝦夷共和国が拠点にした箱館の五稜郭で終結した箱館戦争は、江戸時代と幕府の終わり、そして明治時代の到来を告げる歴史に残る大きな出来事で今も語り継がれています。

現在の平和な函館では想像がつきませんが、激動の時代と新政府軍と戦争をした蝦夷共和国が存在したのは確かです。


榎本釜次郎(武揚)は総裁を務めた人物で、海軍副総裁を務めた政治家で外交官でもあります。
伊能忠敬の元弟子、幕臣榎本武規の次男として生まれた榎本釜次郎は、オランダ留学を経験して帰国後に幕府海軍指揮官、戊辰戦争を経て蝦夷共和国総裁となりました。


松平太郎は蝦夷共和国の副総裁を務めた人物で、幕臣松平九郎左衛門の子供にして幕府で奥右筆を務めた経験もあります。
戊辰戦争では歩兵頭を経て陸軍奉行並、陸軍総裁勝海舟のもとで旧幕府軍の官軍への反発を抑える役割りを担いました。

しかし主戦論者ということもあり、榎本らと共に抗戦に参加、江戸を脱出して蝦夷地に渡る

山田顕義は明治維新期の軍人で、蝦夷共和国設立の貢献と新政府からの独立活動を支えてきた人物の1人です。

吉田松陰の松下村塾に最年少で入門、最後の門下生で、25歳の時に戊辰戦争の討伐軍で指揮官として活躍しました。
西郷隆盛からは用兵の天才と称され、小ナポレオンという呼び名までつけられた後、蝦夷共和国樹立や新政府からの独立に尽力しました。


英国公使館書記官のアダムズは、蝦夷島政府の蝦夷共和国という名称を考えた人物です。
イギリスとフランスの軍艦が箱館に入港した時、事実上の政権の内容の覚書を知ったアダムズが後に、箱館新政権を共和国と表現したことから蝦夷共和国の名前が広まりました。

箱館戦争は別名五稜郭の戦いとも呼ばれる戦争で、1868年の9月19日から翌年に掛けて続きました。15代将軍徳川慶喜が将軍職を辞して政権を朝廷に返還、江戸幕府の崩壊により新政府軍と旧幕府脱走軍の対立が起こります。

旧幕臣による臨時政府による榎本らと官軍との間で勃発した戦争ですが、最終的には榎本の降伏によって終結しています。

埋葬を行ったのは実行寺の住職松尾日隆師らで、侠客の柳川熊吉や大岡助右衛門が率先して収容を行い、住職の手で弔われました。

柳川熊吉は官軍と賊軍の意思疎通に務めた橋渡し役で、榎本が柳川の義侠心を愛したという程の人物です。

箱館戦争では終結してからも路傍に遺体が放置されており、遺体を集めて周り実行寺に運び葬ったことから、一時は怪しんだ官軍により捕縛されたものの釈放されています。

白虎隊も参戦した戊辰戦争は、箱館戦争の終結を持ってしてようやく終わりました。結

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2017-10-23

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