フィンセント・ファン・ゴッホが日本の浮世絵に深く魅了され、その影響を自身の作品に色濃く反映させたことは当時の西洋美術界に広まったジャポニスムの中でも特に顕著な例として知られています。
ゴッホが浮世絵に強く惹かれたのは、西洋絵画の伝統的な遠近法とは異なる大胆な構図や手前のモチーフを大きく配置する独特な視点、そして影をあまり描かず鮮やかな色彩で広い面を塗りつぶす平面的な表現が非常に新鮮だったからと言われています。
また、現実の色にとらわれず感情や象徴性を重視した大胆な色使いや木版画特有の力強い輪郭線も彼の筆致と相通じ創作への大きなインスピレーションとなりました。
神話や歴史ではなく人々の日常生活や風景、役者、美人といった身近なテーマを描いた点もゴッホにとって魅力的であり彼は浮世絵を通して、まだ見ぬ理想の国ユートピアとしての日本に強い憧れを抱いていました。
ゴッホは弟のテオと共に500枚から600枚もの浮世絵をコレクションしており、これらの浮世絵は彼の創作活動に大きな影響を与えました。
特に画材屋の主人ジュリアン・タンギーを描いた「タンギー爺さん」の背景には、ゴッホが所有していた数多くの浮世絵が描かれており彼の浮世絵愛を象徴する作品として有名です。
ゴッホは渓斎英泉の美人画を模写した「花魁(渓斎英泉を模写して)」や

歌川広重の「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」を模写した「ジャポネズリー/梅の開花」

そして「大はしあたけの夕立」を模写した「ジャポネズリー/雨の橋」

といった作品群を制作し原画の構図やモチーフを再現しつつ自身の色彩感覚や表現を加えて再構築しています。
これらの模写作品や浮世絵を背景に描いた作品だけでなく、ゴッホの多くの風景画や肖像画にも浮世絵から学んだ構図、色彩、平面表現そして力強い筆致といった影響が間接的に表れています。
ゴッホがパリを離れ南フランスのアルルに移り住んだ際に「私はアルルへ来た。まるで日本を見るためにここへ来たようだ」と手紙に書き送ったことからも、彼にとって浮世絵が単なる異国の美術品ではなく彼の芸術表現を大きく進化させ精神的な支えともなった「日本の夢」であったことがうかがえます。
彼にとってアルルの鮮やかな太陽と豊かな自然は、浮世絵で見た日本の風景と重なり合っていたのです。
彼はアルルに「黄色の家」を作り仲間たちと共に「南の画廊(アトリエ)」を築くことを夢見ました。
それは、彼が浮世絵に見出した平和で共同体的な理想の芸術家たちの暮らしだったのかもしれません。
残念ながら、ゴッホの精神的な苦悩は癒えることなくその夢は長くは続きませんでした。
しかし、彼の絵画の中に脈々と息づく浮世絵の精神は私たちに語りかけ続けています。
日本の浮世絵から得たインスピレーションは、彼の「狂氣」と「天才」が融合し世界に類を見ない色彩と情熱の絵画を生み出す大きな原動力となりました。
ゴッホの絵を見る機会があったら、ぜひ思い出してみてください。
あの鮮やかな色彩の中に、力強い輪郭線の中に、そして大胆な構図の中に、遠く離れた日本の浮世絵の魂が確かに息づいていることを。
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