アステカ文明においてトラロックは雨と雷、農業、水を司る重要な神として崇められていました。
テノチティトランの中心にそびえる巨大な60メートルのピラミッド、テンプロ・マヨールの頂上では戦神ウィツィロポチトリの寺院と並んでトラロック寺院が建立され、都市の宗教的な中心地として機能していました。
この寺院内部にはトラロックの神像が安置されており、さらにテノチティトラン近郊のトラロック山には白い溶岩で作られたトラロック像が祀られた神聖な聖域が存在していました。
アステカの人々は雨季の到来を告げる重要な儀式としてテスコ湖で子供たちを水に浸す犠牲の儀式を行いました。
トラロックはアステカ暦の特定の月や「マサトル」の日、そして「トレセーナ・セ・キアウイトル(1雨)」と呼ばれる儀式的な期間の守護聖人としても深く信仰されていました。
雨季の始まりには全ての食用植物の種子がトラロック像の頭部のくぼみに供えられるという独特な習慣も見られます。
メキシコのコートリンチャン市近郊で発見された168トンもの巨大な玄武岩のトラロック像はその大きさと精巧な造形で注目を集めました。
この像は長年の風雨で一部損傷していましたが口の周りに刻まれた長い牙など、神の威厳を感じさせる特徴を備えていました。
現在この貴重な遺物はメキシコシティの国立人類学博物館に展示され訪れる人々にアステカ文明の深遠な世界観を伝えています。
トラロックはアステカの宇宙観において5つの世界時代のうち第3の時代を支配した重要な存在でした。
また最高神トラロカテクトリに加えて山頂に集う雲と関連づけられた多くの小さなトラロク(トラロケ)が信仰されており地域ごとに多様な信仰形態が発達しています。
このようにトラロック信仰はアステカ社会において農耕を基盤とする生活と深く結びついた、極めて現実的な意義を持つ宗教的実践だったのです。
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