ナイルデルタの湿った風が、タニスの遺跡を優しく撫でる。
1940年、世界が戦火に包まれていたあの年フランス人考古学者ピエール・モンテの手が震えた。

スコップの先で感じたのは3000年の時を超えた冷たい感触
それは歴史の闇に葬られた真実への扉だった。
墓室の扉を開いた瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、月光のように淡く輝く巨大な塊。
純銀製の石棺は薄暗い墓室の中で、まるで生きているかのように微かな光を放っていた。
重さ95kg。
その表面には、精巧なヒエログリフが刻まれ一つの名が繰り返し記されていた
プスセンネス1世。
エジプト第21王朝のファラオにして歴史の表舞台から忽然と消された王
「銀は金の二倍の価値あり」
古代の記録が語るこの言葉の重みは、現代の私たちには計り知れない。
当時のエジプトにおいて、銀は金よりも遥かに希少な存在だった。
ナイルは金を産したが、銀は異国の風と共にもたらされる幻の金属。
ヒッタイトや海の民との交易でしか手に入らぬ蒼い月の輝き。
それを95kgも棺に用いたという事実は、この王の権力と富が、いかに並外れたものであったかを物語っている。
太陽神ラーを象徴する金を拒み、月の神トトに連なる銀を選んだこの選択は一体何を意味するのか?
考古学者たちは困惑した。
通常、ファラオの墓は華やかな黄金に彩られるものだ。
ツタンカーメンの墓がそうであったように。
しかしここには金の代わりに銀が太陽の代わりに月光が満ちていた。
「彼は意図的に金を避けたのではないか」
ある研究者の仮説が興味深い。
当時のエジプトは、新王国時代の栄華から凋落しつつあった。
国力が衰える中プスセンネス1世は、もはや伝統的な”太陽の王”としての立場を維持できなかったのかもしれない。
あるいはデルタ地帯に根付いていた月信仰の影響を受けたのか。
そして最も不気味なのは、この墓だけが洪水の泥に守られ盗掘を免れたことだ。
他の王たちのミイラが暴かれ宝石が奪われた時代に銀の棺は無傷で残った。
まるで何者かが「この秘密だけは守れ」と命じたように。
「銀は腐食する」
現代の科学が明らかにした事実は、さらなる謎を投げかける。
この棺の銀には意図的に少量の金が混ぜられていた。
それは銀の腐食を防ぐための古代の知恵だったのか?
それとも金と銀の融合に何か深い意味が込められていたのか?
カイロ博物館の薄明かりの中、銀の棺を前に立つとツタンカーメンの黄金のマスクとは全く異なる冷たくも荘厳なオーラを感じるだろう。
ここには黄金の輝きに代表されるエジプトの華やかさではなく歴史の闇に消えたもう一つのエジプトの王が存在する。
「もしこの王が現代に甦ったら何を語るだろうか?」
ピエール・モンテは発掘の夜、日記にそう記した。
おそらくプスセンネス1世は、金に象徴される太陽の王たちの系譜から自らを切り離し銀に代表されるセイヒツな権威を選んだのだと。
彼の治世は記録からほとんど抹消され、その事績は謎に包まれている。
月光のような淡い輝きを放ち続けるこの棺はエジプト学の常識を覆す存在だ。
なぜなら、ここには「金こそが王権の象徴」という固定観念を打ち破る、もう一つの真実が眠っているからである。
最後に残るのは一つの疑問だ
この銀の輝きは、失われた王朝の栄光の名残なのか、それとも意図的に歴史から隠された何かの証なのか?
答えは今も95kgの純銀の中に封印されたままである。
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