『日本遺産・赤平炭鉱 技術と殉職の地層 ±18mmの着床精度に懸けた、或る一山一家の記録』

【日本遺産最深部】赤平炭鉱遺産を本氣で解剖する

炭鉄港の中で赤平が「特別」である理由

2019年5月に認定された日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命『炭鉄港』~」空知の炭鉱、室蘭の鉄鋼、小樽の港湾。それらを鉄路で結ぶ壮大な物語の中で赤平市の構成文化財は、わずか3つです。

  • 空知川露頭炭層 — 1873年、石炭発見の咆哮が上がった原点
  • 北炭赤間炭鉱ズリ山 — 1938年から1973年まで命がけの作業の「残骸」が積み上がった人工の山
  • 住友赤平炭鉱立坑櫓・周辺施設 — 1963年完成。閉山の1994年まで、その鉄の檻は幾人もの男たちを地の底へと運び、そのすべてを還したわけではなかった場所

この中にあって立坑櫓だけが「動かせる状態」で完全保存されています。旋回する滑車も、唸りを上げていた電動機も、操作室の電話機も、すべてが1994年9月30日閉山のその瞬間のまま。これは日本では赤平にしかない奇跡です。

耳がキーンと鳴る地下550mへの「鉄の棺桶」

「複式オールケージ」直径わずか6.6mの暗黒の竪穴を4つの巨大な鉄の籠が同時に昇降する。これが住友赤平炭鉱第一立坑櫓の心臓部です。

スペックを並べましょう。

項目 仕様
深度 650m(運用最深部550m超)
ケージ 4段デッキ×4基(1基72人、同時288人)
巻上速度 毎秒12m(時速43.2km)
550m走行時間 わずか51.6秒
着床誤差 ±18mm以内(0.3秒非常制動)

着床誤差±18mm以内。これを実現する0.3秒の非常制動技術。一歩間違えば籠は行き過ぎ男たちは深淵へ放り出される。この精度は技術の粋であると同時に生死を分かつ絶対の境界線でした。

「全部、籠で運べ」— 地底の炎と闘った技術者たちの決断

なぜスキップ式を捨て非効率に見える「オールケージ」方式を選んだのか。

それは赤平の石炭が空氣に触れるだけでひとりでに発火するという呪われた性質を持っていたからです。

採掘跡が自然発火しないよう掘り出した不要な石をすぐに坑道の奥深くへ埋め戻さなければならない。そのためには人も、石炭も、埋め戻す石も「全部、籠で運べ」それが技術者たちの決断でした。

地の底で潰えた命 — 「一山一家」の光と影

しかし、どれほど技術が進歩しようと自然の脅威は容赦なく命を奪っていきました。

  1. 昭和14年4月14日、住友赤平炭鉱で発生した坑内火災。救助に向かった坑夫たちを二次災害が襲い10名が殉職。
  2. 昭和21年6月21日、上部坑道で起きた大規模なガス爆発。逃げ場を失った25名が一瞬の炎に包まれました。
  3. 昭和46年5月15日、自走枠の水圧鉄柱が弾け飛ぶという落盤事故で、また一人、家族のもとへ還らぬ男が増えました。

最盛期には4,787人もの人々がこの町で暮らし「一山一家」の言葉通り炭鉱は会社であり学校であり家族でした。

坑口で無事を祈る妻たち。社宅で一緒に風呂に入り、祭りでは手作りの神輿を担いだ。
そんな日常の裏側で沈黙の英雄たちは帰らぬ者たちのヘルメットを坑口の片隅にそっと並べていたのです。

「動かせる遺産」が語りかけるも

777段のズリ山階段——炭鉱マンの記憶が息づく人工の山

閉山から30年以上が経った静まり返った立坑櫓の中へ、あなたは足を踏み入れることができます。

赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設の元炭鉱マンガイドが現役当時のままの分厚い巻上機のハンドルを握りながら、こう言うのです。

「こいつは、今でも動くんだよ。……アイツらが守ってきたもんだからな」

一瞬、油と埃の匂いの中に地下550mから吹き上げる風と耳をつんざくケージの轟音、そして坑底で響く男たちの怒号が蘇る氣がするのです。


観覧は完全予約制・有料。保険加入が必須です。
この場所は、あなたの「見学」を待ってはいません。
あなたの「巡礼」を待っているのです。

追記(出典)

今回の内容は、故・松本榮一氏(元住友赤平炭鉱救護隊長)の手記、北海道新聞社が発行した『写眞で綴る 住友赤平砿業所の記録』および炭鉱遺産ガイダンス施設に収蔵されている「殉職者名簿」と現場検証資料に基づいています。

 

 

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