明治5年12月は3日で終わった 。国家が「時間」を盗んだ日 · 消えた27日間の謎

2月17日こそが本来の日本人の正月だった? 明治改暦で消えた「本当の元日」と旧暦の真実

2026年2月17日あなたはどう過ごしますか? 新暦ではまだ2月半ばですが実はこの日こそ古来の日本人が「本当の正月」として迎えていた日なのです。明治維新後の改暦で強引に1月1日が正月とされた今、和多志たちの「お正月」は本当に「日本人のもの」でしょうか?

「西暦は嘘ごまかし」という言葉が話題になるように暦とは権力・文化・自然のリズムが凝縮された装置です。この記事では今年は2月17日が本来の日本人の正月である理由、明治改暦の衝撃そして今も残る旧暦の痕跡を徹底解説します。

目次

旧正月とは? なぜ2月17日が2026年の元日なのか

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旧正月(きゅうしょうがつ)とは旧暦(太陰太陽暦)の1月1日のこと。月の満ち欠けを基準にし二十四節氣で季節を調整する暦です。新暦(グレゴリオ暦)では毎年1月21日〜2月20日の間で変動します。

2026年の旧正月は2月17日(火)これは冬至後の新月を起点に決まるためで立春(2月4日頃)から約2週間後、ちょうど「春の訪れ」を実感しやすい時期です。旧暦では「初春」の感覚が強く、農業・漁業のサイクルにぴったり合っていました。

中国では「春節」韓国では「ソルラル」と呼ばれ今も国家の祝日。爆竹や家族団らんが盛大に行われます。日本では明治以降ほぼ廃れましたが沖縄や奄美では今も大切に守られています。

古代日本人の「正月」は満月ベースだった

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さらに遡ると古代日本のお正月は「初春の満月」でした。新月(朔)を起点とする中国由来の太陰太陽暦が入る前は厳冬の終わりに訪れる満月の明るい夜が「年始」だったのです。

満月は移動しやすく祭りや神事を行いやすい。祖霊や年神を迎えるのに最適な日でした。つまり2月17日頃の満月に近い日が本来の日本人の正月だった可能性が高いのです。

新月ベースの旧正月が入った後も小正月(旧暦1月15日=満月)は「もう一つの正月」として残りどんど焼きや左義長が行われました。これこそ古来の「満月正月」の名残です。

明治改暦で「消えた27日間」政府の都合で変わった時間

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1873年(明治6年)日本は突然の改暦を断行。旧暦明治5年12月3日がそのまま新暦1873年1月1日になりました。つまり旧暦12月4日〜31日の約27日間が歴史から消えたのです。

実際には12月がわずか2日(1・2日)で終わり3日が急に元日。多くの人は「師走が3日で終わった」と衝撃を受けました。借金返済の年末習慣が間に合わずトラブルが続出。農民は種まき・収穫のタイミングが狂い生活リズムが崩壊しました。

《財政難と外交圧力》改暦の裏側にあった本当の理由

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政府の公式理由は「西洋諸国との調和」でしたが真の目的は二つ。

  1. 財政節約 旧暦は閏月が入り13ヶ月になる年あり。月給制の官吏に余分な給与を払わなくて済む(明治6年は閏年だったため特に効果大)さらに12月分(2日しかない月)の給与もカット。
  2. 不平等条約改正 西洋と同じ暦を使い「文明国」アピール。外交交渉の足がかりに。

国家の都合(財政・外交)が民衆の自然な時間感覚に優先されたのです。福沢諭吉ですら『改暦弁』で啓蒙しましたが一部では「給料踏み倒し」と揶揄されました。

民衆の混乱と「時間の分裂」今も続く二重生活

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改暦後、農業・祭りは旧暦基準のまま。政府行事は新暦で進む「時間の分裂」が発生しました。

  • 七夕 新暦7月7日 vs 旧暦8月頃
  • お盆 新暦8月 vs 旧暦7月
  • 十五夜 新暦9月頃 vs 旧暦8月15日

このズレは今も残り多くの人が「本当の季節感」は旧暦にあると感じます。「西暦は嘘ごまかし」という違和感は、まさにここから生まれています。

沖縄・奄美では今も旧正月を祝う理由

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本土ではほぼ消えた旧正月ですが沖縄(ソーグヮッチ)や奄美では今も大切に。2026年2月17日にはヒヌカン(火の神)や仏壇へのお供え若水汲みが行われます。

理由は琉球王国時代から中国文化の影響が強く旧暦が生活の基盤だったから。明治政府の改暦も完全には浸透せず自然と祖先の時間軸を守り続けています。

まとめ。2月17日にできる「本当の正月」の迎え方

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宇宙規模では無意味な「2026年2月17日」ですが旧暦ではまさに元日。令和8年という国家の物語とは別に自然のリズムで「本当の日本人の正月」を迎えてみませんか?

  • 鏡餅やおせちを少しだけ出して年神様を迎える
  • 旧暦の二十四節氣を意識して散歩する
  • 沖縄風にヒヌカンへ感謝を伝える

暦は変えられても和多志たちのDNAに刻まれた季節感は消えません。今日という日を多層的な時間軸で味わってみてください。

おまけ

これにより政府は約250万円(当時の国家予算の約5分の1に相当する巨額)を節約できたと試算されています。当時の民衆や官吏の間では「給料踏み倒し」「三日政府(12月が3日しかなかったと揶揄)」といった不満が強く広がりました。外交面では不平等条約改正交渉において「野蛮な旧暦を使っている」と批判されるのを避け西洋列強と対等な「文明国」であることを示す必要がありました。岩倉使節団が欧米視察から戻ったタイミングとも重なり改暦は文明開化政策の一環として位置づけられました。福沢諭吉の『改暦弁』(1873年)は、まさにこの改暦を積極的に擁護・啓蒙した著作で「暦は時間の計り方だけではなく国家の進歩に関わる」と説いています。

福沢自身も民衆の不満や混乱を認識しており啓蒙の必要性を強く感じていたことがうかがえます。国家の合理性(財政・外交)が民衆の伝統的な時間感覚や生活リズムを強制的に上書きした典型例であり近代化の光と影を象徴する出来事と言えるでしょう。

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