アイスランドのアルシングが世界最古の議会として称揚される事実は教科書の一行で片づけられるが如き陳腐な記述に堕しがちである。その歴史的意義を真に理解するためには、この北極圏に隣接する孤島の荒野で西暦九百三十年という時代に何が企図され何が達成され、そして何が露呈したのかを政治哲学と人類学的視座から再構築する必要がある。
アルシングは「議会の起源」ではなく人類が「法」によって「暴力」を秩序化しようとする一つの稀有で完結した実験であり、その成功と失敗の両面において国家形成の原型を剥き出しにする鏡なのである。
アルシング創設の背景にはノルウェー王による中央集権化への反抗という個人の自由を賭けた逃亡者たちの集団的意志があった。九世紀末から十世紀初頭にかけてハーラル美髪王の圧政を逃れたノルスマン(北欧人)が家族と奴隷を連れてこの未開の島に漂着した。彼らは王も教会も既成の階層もない真空状態に投じられた。
ここに人類社会において極めて稀な条件が揃った「社会契約」が神話ではなく現実の切実な課題として生存者たちの眼前に横たわったのである。彼らが直面したのは土地の分配、殺傷事件の裁き、交易のルール、そして何より復讐の連鎖という血で血を洗う慣習の制御という共同体の存続に関わる法整備の緊急性であった。
アルシングは、この無政府状態に対する暴力的自然状態(ホッブズ的状態)への文字通り「立法」による回答であった。
その機構は現代の議会制度の先祖などではない。それは北欧固有の法的伝統「法族」とゲルマン的な自由民集会「ティング」がアイスランドの地理的・社会的条件によって変容した独特のハイブリッド体制であった。年に一度、夏至の頃、世界の裂け目とされるシンクヴェトリル平原に全島から主要な族長(ゴジ)とその追随者が集結した。この場所は地質学的に二つの大陸プレートが引き裂かれる裂溝の上にあり、その物理的景観は法が対立を分かつ象徴として機能したかもしれない。議長である「法の告白者」は三年ごとに選出され一切の武器的力を保有せず、ただ記憶だけで島の法全体を暗誦し宣言する生きた法典であった。
この点にアルシングの本質が集約される。権力の源泉が「武力」でも「血統」でもなく「法の記憶と宣言」という抽象的で流動的な知識に置かれたのである。法の告白者は裁定を下さず、法を提示するのみであった。裁定は三十六の(後に三十九の)ゴジからなる立法部「ローグレッタ」と彼らに従う自由民たちの承認によってなされた。
この過程は法の制定と適用が、ある種の公開演劇的パフォーマンスとして執行され共同体全体の合意形成を視覚化する装置となっていた。
しかし、この制度の華やかな理想の下には深刻な構造的欠陥が埋め込まれていた。最大の欠点は執行権の不在である。アルシングは法を宣言し判決を下すことができたが、それを強制する常備軍も警察機構も恒常的な行政機関も持たなかった。判決の執行は最終的には勝訴した当事者自身、そしてその一族の武力に委ねられた。
つまり「法の支配」の最終的な保証人は依然として「私的暴力」であったのである。これはまさに「個人の都合」と「国の都合」の暴力が未分化な状態、つまり法は「公共のもの」として語られながら、その実効性は「私的な力」に依存するという根本的な矛盾を露呈している。
アルシングは暴力を法で包摂しようとしたが法そのものを暴力から自立させるには至らなかった。その結果、有力なゴジ同士の同盟と反目が繰り返され判決を巡る抗争はむしろ複雑化し十三世紀にはストゥルルンガ時代と呼ばれる激しい内乱状態に陥る。ここに法による秩序の試みが結局は大規模な「国の都合」ならぬ「族長たちの都合」による紛争へと収斂していく一個の縮図が見て取れる。
この内乱の果てにアイスランドは一二六二年、ノルウェー王の主権を受け入れる「古い契約」を締結し事実上の独立を失う。この帰結はアルシング実験の「失敗」を示すとよく解される。確かに統一的な執行権を持つ君主による支配の前に執行権なき法共同体は屈服した。しかし、この「失敗」こそがアルシングの真の歴史的教義なのである。それは法の理念と暴力の現実の間にある断絶を生々しい形で証明した。同時に、この実験が三百五十年以上も持続したという事実もまた、法の言葉そのものが持つ暴力を一時的に留保し正当性を付与し共同体の想像を可能にする驚くべき力を示している。
そしてアルシングの遺伝子は消えなかった。
現在のアイスランド共和国の議会も同じ名を冠しシンクヴェトリルは国家の聖地である。この連続性は人類が「法」という虚構を共同で構築し、それによって自らの暴力性を制御しようとする果てしなき営為の持続を示している。アルシングは国家以前の、そして国家を超える可能性を孕んだ「法の空間」の原形であった。その空間は王権国家の時代に一度は圧縮されたが近代民主主義の萌芽として再解釈され、よみがえった。
「殺しが国の都合か個人の都合か」という問いに照らせばアルシングはその区分が未だ曖昧模糊とした段階の社会を映す。それは法という「公共の都合」を作り上げようと格闘しながら、その実体は「族長という個人の都合」の集合に過ぎず最終的執行は「個人の暴力」に依存せざるを得なかった過渡期の苦悶の結晶体である。換言すればアルシングは人類が「個人の復讐」を「法の裁定」へと昇華させる途上で、その昇華がいかに不完全で危うく、そして脆い基盤の上に成り立っているかを凍土の上に刻んだ生きた証拠なのである。
その歴史は法による統治という理想が絶えず暴力という現実に侵食され、また理想がその暴力をなんとか言葉で縛ろうとする終わりなき弁証法的運動の最初期の極めて純粋な一例を提供している。人類が近代国家の「法的暴力の独占」を見るとき、その背後にはアルシングのような執行権なき法の嘆きと執行権獲得への欲望が長い歴史の影として確実に流れ続けているのである。
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