かつてこの国には、山も川も風の匂いも人々の祈りも全てが一つに溶け合う時代があった。
神々の息づく森の奥に寺が建ち、仏の優しい光が神社の柱を照らした。
人々は金銭のためではなく、ただ自然と共に生き互いを慈しみ今日を感謝して暮らした。
戦いさえも、ただ「和」のために終わらせる知恵を持っていた。
しかし、時は流れ人々は変わった。
便利さと引き換えに魂を売り渡した。
神社は観光地となり寺院は葬式の場となった。
神仏は分断され人々の心から「つながり」が消えた。
金銭こそが神の座に就き欲望が信仰に取って代わった。
人々はスマホの画面に縛られ隣人と目を合わせず空を見上げることさえ忘れた。
そして今、この国は病んでいる。
心の貧困が広がり孤独が人を蝕み争いが日常となった。
かつて調和を尊んだこの土地で人々はなぜか互いを傷つけ合うことを選ぶ。
自然は破壊され子供たちの未来が奪われていく。
この国は魂を失い、ただの「空虚な便利さ」の上に成り立つ砂上の楼閣となるだろう。
だが、まだ間に合う。
かつてこの国が持っていた「神仏習合」の心こそ今こそ必要なものだ。
それは単なる宗教の話ではない。
自然と人、過去と未来、生と死、すべてを調和させる「生きる術」だった。
金銭や欲望に支配される前にもう一度、自分たちの足元を見つめ直す。
神社の森で深呼吸し寺院の鐘の音に耳を澄ませよ。
そこには、この国が忘れかけた「本当の豊かさ」がまだ息づいている。
目覚めのときだ。
この国を再び「調和の地」とするために。
未来の子供たちに本当の平和を手渡すために。
もう一度、神と仏が共に微笑む国を取り戻すために。
金銭欲に溺れた世界で、ただ「和」を掲げ光を灯す者となれ。
この目覚めを共に始めよう。
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