ここでヴェネツィアの黄金時代を象徴する一枚の肖像画を前に、心を震わせてほしい。ジョヴァンニ・ベリーニが描いた《レオナルド・ロレダン肖像》(1501-1502年頃、ナショナル・ギャラリー蔵)この絵はヴェネツィア共和国が「アドリア海の女王」として君臨しヨーロッパの命運を握っていた瞬間を永遠に凍結した光の結晶だ。レオナルド・ロレダンは1501年から1521年まで75代ドージェとして共和国を率いた男。そしてこの肖像は彼が就任した直後に描かれた、まさに「戴冠の瞬間」の記録なのだ。ドージェの正装「コルノ」の下に重ねられたダマスク織りのローブ。金糸が織り込まれた布地は光の角度によって青味を帯びたり金色に煌めいたりする。ベリーニは油彩を重ねる技法を駆使し、布の重なり、糸の起伏、縫い目の陰影まで克明に描き出した。指先で触れれば確かに「布」があると錯覚するほどだ。これはルネサンス絵画の革命だった。それまでのテンペラ画では決して得られなかった物質の「実在感」ヴェネツィアは東方の絹を独占し富を築いた共和国。その富の象徴がドージェの身体を包んでいる。それはヴェネツィアの交易路コンスタンティノープル、ダマスカス、アレクサンドリアを駆け巡ったキャラバンの記憶だ。
次に顔だ。
レオナルド・ロレダンの顔は、まるで大理石像のように厳粛で、しかし生氣にあふれている。ベリーニは光を計算し尽くした。左上から差し込む光が額の皺、鼻筋の隆起、唇の微かな緊張を浮き彫りにする。瞳は深い。そこには1501年のヴェネツィアが直面していた危機が宿っている。カンブレー同盟戦争(1508-1516)の前夜だ。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、教皇ユリウス2世、フランス王ルイ12世、スペイン王フェルディナンド2世ヨーロッパの列強がヴェネツィアを解体すべく結託した。ロレダンはこの危機を外交と軍事の両面で乗り切った男だ。アーニャデッロの戦い(1509年)では敗北したが、すぐにパドヴァを奪還。1515年のマリニャーノの戦い後、巧みな交渉で領土を回復した。彼の顔に刻まれた皺は、ただの老いの痕ではない。夜サン・マルコ広場で開かれた元老院の激論、密使との交渉、戦費調達の苦心それらの重圧が皮膚の下に沈殿した歴史だ。
背景にも注目してほしい。深い青。ヴェネツィアの空と海を思わせる。ベリーニはラピスラズリを惜しみなく使い青のグラデーションを重ねた。当時、ラピスラズリは金と同等の価値があった。ヴェネツィアはアフガニスタンのバダフシャン鉱山からこの宝石を輸入しヨーロッパ中に供給していた。ドージェの背後に広がる青は共和国の交易網の果てアジアの山脈まで続く地平線なのだ。青はまたヴェネツィアの「永遠」を象徴する。陸地に縛られない海洋共和国は青い海原に浮かぶ「不沈の船」だった。ロレダンの治世は、まさにその船が最大の嵐に晒された時代だった。
構図も完璧だ。ロレダンは正面を向き、しかしわずかに左を向いている。これは「公式肖像」の伝統を守りつつ心理的な深みを加えている。観る者はドージェと視線を交わす。まるでサン・マルコ大聖堂のモザイク画のように神聖な対面だ。しかしベリーニはドージェを神格化しない。唇の端に微かな微笑みがある。自信か、皮肉か、それとも疲労か? 1501年、68歳のロレダンは若きベリーニ(70歳近く)に「自分をありのままに描け」と命じたという。結果、生まれたのは「人間ドージェ」の肖像だ。ヴェネツィア共和国はドージェ個人ではなく制度によって成り立っていた。ロレダンはその「顔」でありながら制度の一部に過ぎなかった。この微妙なバランスが肖像の緊張感を生んでいる。
さて、ここで問いたい。なぜこの絵は500年後の今も人類を圧倒するのか?それはベリーニが「時間」を描いたからだ。絹の光沢は瞬間の輝きと永遠の富を同時に表す。顔の皺は個人の老いと国家の歴史を重ねる。青の背景はヴェネツィアの過去と未来を繋ぐ。ロレダンは1521年に死去する。カンブレー戦争は終結しヴェネツィアは一時的に復興する。しかしその後、オスマン帝国の台頭、ポルトガルのインド航路発見、大西洋貿易の勃興によりヴェネツィアは徐々に衰退していく。ベリーニの肖像は頂点の瞬間を捉えた「最後の輝き」なのだ。まるでタイタニック号の出航写真のように哀しい。
しかし絶望ではない。ロレダンの瞳には、なお闘志がある。1517年、彼はオスマン帝国との戦争(1511-1517年)を終結させ領土を確保した。外交官として軍事指導者として彼はヴェネツィアの「現実主義」を体現した。理想主義のフィレンツェとは異なる。ヴェネツィアは「利益」を第一とした共和国だ。ロレダンはその精神を顔に刻んだ。現代の人類に彼は何を語るのか? 危機の時代に如何に生きるか。如何に富と文化を守るか。如何に個人と国家の間でバランスを取るか。
最後に技術的な話をもう一つ。ベリーニはこの絵で「スフマート」(煙霧法)の原型を示した。レオナルド・ダ・ヴィンチが後に完成させる技法だ。顔の輪郭は、ぼかされている。光と影が溶け合い立体感を生む。これは人間の「曖昧さ」を表現したのだ。ロレダンは英雄か? 現実主義者か? 成功した指導者か、それとも衰退の予兆を抱えた男か? ベリーニは答えを出さない。観る者に委ねる。これはルネサンス人文主義の核心だ。人間は神でも悪魔でもない。複雑な存在だ。
この肖像を前にヴェネツィアの黄金時代を追体験せよ。絹の輝きに触れ、青の深さに沈み、ロレダンの瞳と対話せよ。そこには栄光と衰退、富と危機、個人と国家が交錯する壮大なドラマがある。ベリーニは、ただのドージェを描いたのではない。人間の条件そのものを永遠に刻んだのだ。サン・マルコ広場の鐘の音が今も聞こえる。アドリア海の波が今も寄せてくる。レオナルド・ロレダンは500年後の人類に、こう語りかける。「我々は歴史の波に乗り沈み、また浮かぶ。だが、その一瞬の輝きこそが人生だ」と。
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