セビリア大聖堂の荘厳な静寂の中、訪れる者の視線を集めて屹立するのはクリストファー・コロンブスの墓である。
レオン、カスティーリャ、アラゴン、ナバラの四王国を擬人化した四人の威武に満ちた王侯たちの肩に担がれたその鉛の棺は1人の人間の死体を超えた、はるかに重いものを運んでいる。
それは「偉大な発見者」という国家的叙事であり、ひとつの世界の終わりと、もうひとつの世界の「始まり」を告げる輝かしくも残酷な宣言なのである。
考古学者は、この記念碑的な墓石を文字に記された歴史がしばしば曖昧にし、あるいは意図的に隠蔽する真実を掘り起こすための最初のトレンチ(試掘坑)と見做さねばならない。
ここから開始される発掘は人類がその歩みにおいて繰り返し実行してきた他者への征服、搾取、そして忘却という耐えがたいほどに残酷な真実を露わにするのである。
この墓が「発見」という言葉そのものを粉飾に変えてしまったことである。1492年はヨーロッパ中心史観においては新たな世界への扉が開かれた輝かしい年である。しかし考古学的な証拠は、この年がアメリカ大陸における数多の高度文明にとって組織的破壊と文化的断絶の始まりを告げる年であったことを物語る。
コロンブスがサンサルバドル島に上陸したその瞬間それは「発見」ではなく「遭遇」であり、すぐれて「侵略」の序幕であった。
墓を担ぐ四人の王侯像は、この侵略行為を支えた政治的・経済的な基盤を象徴する。彼らが代表する王国の連合こそがレコンキスタ(国土回復運動)を完了させ宗教的・民族的な純粋性への偏執を内に宿した強力な中央集権国家の誕生を告げるものだった。
この国家のエネルギーが次の瞬間、大西洋の彼方へと向けられたのである。墓石が語らないことは考古学の発掘が代弁する。
ヒスパニオラ島の初期植民地遺跡からはヨーロッパ由来の武器、鎖、そして先住民の骨格に刻まれた暴力の痕跡が出土する。これらは黄金への欲望が引き起こした虐殺、奴隷化、疾病の蔓延によって、わずか数十年でカリブ海の先住民人口が壊滅的な打撃を受けたことを示す沈黙の証言者である。
コロンブスの棺が「発見」の栄光を称える一方で彼の「遭遇」がもたらした地獄の現実は文字の記録からは消し去られ、ただ土の中に埋もれた骨と遺物だけが、その残酷な真実を伝え続けている。
この墓が歴史の叙事が常に勝者によって書かれ敗者はその痕跡さえも抹殺されうることを如実に示している点である。
セビリア大聖堂というスペインにおけるカトリック信仰の最も神聖な空間の一つに、これほどまでに堂々と祀られている事実そのものが一種の政治的・イデオロギー的な宣言である。
コロンブスの航海が十字架的使命(クロス)と帝国的野心(ソード)の不可分の結合体であったことを、この墓は石の言葉で語っている。
彼の遺骸の移動それ自体が一つの政治劇であった。新世界で富を求めた征服者(コンキスタドール)たちの遺体が、故郷に還り、聖域に眠る。
この物語は侵略行為を「神の御心」による「文明化の使命」へと昇華させるための周到に仕組まれた演出なのである。
では、その「遭遇」のもう一方の当事者タイノ族やカリブ族あるいは後に滅びゆくアステカやインカの民の墓はどこにあるのか。
彼らの偉大な首長や祭司たちの遺骸は征服者の略奪の炎と、それに続くキリスト教布教の名の下での「偶像破壊」の中で、そのほとんどが失われ、あるいは無名の共同墓地に投げ捨てられた。
彼らの墓は記念碑的な石造建築として存在しない。その存在は破壊されたピラミッドの瓦礫の下、あるいは疫病で無人となった集落の土層中に断片的な痕跡としてしか確認できない。
人類の歴史とは、このように勝者が自らの正統性を誇示するモニュメントを築き上げ、敗者の記憶を物理的にも精神的にも地中深くに封じ込める不断の作業なのである。
セビリアの墓は、この記憶の戦争における勝者の凱旋門に他ならない。
そしておそらく最も深遠な残酷な真実は、この墓が人類社会が「他者」を認識し扱う際の、ほとんど本能的なまでの「非人間化(デヒューマナイゼーション)」のメカニズムを浮き彫りにすることである。
四人の王侯像が担ぐ棺の中身は人間の遺骸である。しかし、この墓が記念するのはクリストファー・コロンブスという生身の人間性ではない。
それは「コロンブス」という記号なのである。すなわち帝国の拡大、キリスト教世界の勝利、科学的合理精神の進歩といった近代西欧が自らに課した価値観の具現化なのである。
この記号化の過程においてコロンブス個人の持つ矛盾、たとえば卓越した航海技術の持ち主であると同時に植民地行政においては残虐と評されるほどの非情さを示したという事実は、巧妙に捨象される。
同様にアメリカ大陸の先住民たちも彼ら独自の複雑な社会構造、精神世界、喜怒哀楽を持った人間の集団としてではなく「発見されるべき対象」「教化すべき異教徒」「利用可能な労働力」すなわち「非人間」として認識されるに至った。
考古学は、この非人間化のプロセスが単なる観念ではなく物質文化のレベルで如何に進行したかを証明する。植民地初期の遺跡から出土する先住民の生活用品は急速に粗雑化しヨーロッパ製品によって取って代わられる。
一方、先住民の技術や文化のうちヨーロッパ人にとって有用なもの(例えばトウモロコシやタバコなどの農作物)だけが選択的に取り込まれ「発見」されたものとして彼らの世界に組み入れられていく。
他者を自分たちと対等な感情と歴史を持つ「人間」としてではなく一方的に定義し、利用し、支配できる「もの」として見做すこの心性こそが奴隷制、大量虐殺、文化破壊といったあらゆる人道に対する罪を可能にする精神的土壌なのである。
セビリアの墓は人間を記号へと昇華させたように大陸全体の先住民族を歴史の主体から客体へと転落させたのである。
結論としてセビリア大聖堂のコロンブス墓は人類の歴史が輝かしい「発見」と「進歩」の連続であるという心地よい物語への単純な賛歌ではない。
それは寧ろ権力がいかにして歴史を編纂し暴力を栄光に塗り替え他者の存在を消去するかを物語る考古学的な一次資料なのである。
その鉛の棺は偉人の遺骸を収める容器であると同時に数多の消された声、滅ぼされた文化、そして忘れ去られた生命の重みを内包している。人類がこの墓の前で感じる畏敬の念は、その芸術的完成度に対するものであると同時に人類が自らに内在するこの残酷な能力、他者を排斥し物語を歪め自らの行いを正当化する、あまりに人間的な能力に対する戦慄でもあろう。
こうした記念碑の壮麗な表層を褒めることではなく、その下に埋もれた沈黙の層を注意深く掘り下げ勝者の叙事だけが唯一の真実ではないことを出土した一片の土器や、変色した人骨の欠片を通して語り継ぐことにある。
それは過去の残酷さを直視することによってのみ現在に蔓延する同様の暴力、様々な形で進行する「他者」の非人間化に対して警鐘を鳴らし、わずかながらも、より包括的な人類の未来を構想するための礎となりうるのである。
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