エジプトの灼熱の太陽がカルナック神殿の列柱を貫く午後、ムト神域の一角で五百体を超える黒花崗岩の女神たちは沈黙の中に座し続けている。
これらのライオンの頭部を持つセクメト像は紀元前十四世紀のアメンホテプ三世が病床で女神に捧げた壮大な祈りの具現である。
今日の考古学者たちがこれらの像の前に立つ時、彼らが見るのは宗教的彫刻の集合ではなく古代エジプト人が「破壊」と「癒やし」という生命的矛盾を如何にして一つの神性に統合したかという深遠なる精神的営為の痕跡なのである。
セクメト信仰の核心は、その二律背反的な性格にこそ存在する。
彼女は真昼の太陽の灼熱の熱を体現し「ネセルト」つまり「炎」として恐れられながら同時に医師や治療師の後援者であり「生命の女性」として崇拝された。
この一見相反する性格は古代エジプトの宇宙観である「マアト」秩序と調和を維持するための精神的装置であった。
セクメトの怒りが疫病をもたらすが故に彼女の機嫌を取ることが疫病からの解放を意味したのである。
カルナックにおけるセクメト像群の大量奉献はアメンホテプ三世の個人的な病的体験に端を発する。
年老いたファラオは病床で一日一体、一年で三百六十五体ものセクメト坐像を制作奉献するという前代未聞のプロジェクトを発令した。
これは一種の「信仰を介した医療行為」であった。
当時のエジプト人にとって病氣は身体的異常ではなく神々の怒りによってもたらされる秩序的混乱の現れであった。
故にセクメトの慈悲を乞うことは身体的治癒と宇宙的秩序の回復を同時に達成する行為なのであった。
これらの黒花崗岩の坐像の細部には古代エジプト人の入念な神学的配慮が刻み込まれている。
右手に握られるアンク(生命の象徴)は女神が「命を授ける者」であることを宣言し左手に保持されるパピルスの笏はナイルデルタの豊穣と生命の連続性を暗示する。
しかしながら女神の頭部を飾る太陽円盤とウラエウス(聖蛇)は彼女が依然として「ラーの眼」としての破壊的力を保持していることを忘れさせない。
癒やしを願いながらも、その根源にある恐るべき力を常に意識させられるという逆説的状況が、これらの彫像の空間に凝縮されているのである。
考古学的発見はさらに興味深い事実を明らかにした。
現在発見されたセクメト像は五百体を超え当初の三百六十五体を大幅に上回っている。
これはアメンホテプ三世の後、歴代のファラオたちが同じようにセクメトの加護を求めて像を追加奉献したことを示している。
新王国時代後期エジプトが内外の危機に直面する中セクメト信仰は国家的不安を鎮める精神的支柱として機能し続けたのである。
セクメトとバステト女神の関係性は、この信仰の本質をさらに複雑にする。
発掘調査により同一の台座に片側にセクメトの坐像、もう片側にバステト(猫の頭を持つ女神)の坐像が背中合わせに彫り込まれた石碑がカルナックから発見されている。
これは二女神が対極的でありながら不可分の「一対」として信仰されていたことを示す物的証拠である。
セクメト(戦争・破壊・灼熱の太陽)とバステト(家庭・保護・優しい太陽)という二面性がエジプトの宇宙観である「マアト」秩序を維持するための両輪として機能していたのである。
「ラーの眼」神話におけるセクメトの物語は、この矛盾的統合の神話的基盤を提供する。
人類がマアトに背いたためラーは怒りて娘である「ラーの眼」をライオンの形で地上に送り込んだ。
セクメトとして暴れ回る彼女は野原を人間の血で染め上げた。
しかしラーは惨劇を悔い七千の瓶にビールとザクロ汁を混ぜたものを用意させた。
セクメトがこれを「血」と誤認して飲み干し酔いつぶれて眠りに落ちた時、人類は救われた。
この神話的エピソードは破壊的衝動が如何にして制御され秩序へと回収されるかを物語る寓話として読むことができる。
考古学者たちはカルナックのセクメト像のいくつかに撫でられて磨かれた部分、特に脚や手が確認できることを指摘している。
これはこれらの像が生きた信仰の対象として実際に人々が触れ、撫で、癒やしを乞う生々しい痕跡なのである。
黒花崗岩の冷たい表面に数千年前のエジプト人たちの不安と希望が刻み込まれているのである。
セクメト信仰はエジプト宗教の機能的理解に重要な示唆を与える。
神々は恐怖の対象でも無条件の慈愛の対象でもない。
彼らは人間界と神界の間の緊張関係を体現し、その関係性を適切に管理することこそが秩序的宇宙の維持に不可欠なのである。
カルナックの黒き石の女神たちは破壊と創造、恐怖と慈愛、混沌と秩序。
これらの対極的力を如何にして一つのシステム内に保持し調和させるかという古代エジプト人の哲学的解答なのであった。
人類がこれらの沈黙の彫像群と対面する時、そこに見いだされるのは人類が常に向き合わざるを得ない存在的矛盾に対する一つの文明的応答の痕跡なのである。
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