北海の船乗りが九州の聖地に龍を捧げる日 〜 平成の奇跡を紡いだ海を越えた信仰の物語

これは海を渡る者たちに伝わる物語だ。

海の向こうから来た男と龍が住む洞窟。

平成十八年四月、春の日差しが水平線を金色に染める頃、一艘の船が北海道函館市の川汲の港を離れた。

その名は「第十八美福丸」

船長は長年、冷たい海と共に生きてきた男だ。彼の手元には一枚の龍のレリーフがあった。

それは波間にきらめく鱗のように輝き生きているかのような眼差しをたたえている。

彼はこれを、はるばる南の海へと運ぼうとしていた。

目的地は宮崎・日南の海岸にある鵜戸神宮という洞窟の神社である。

なぜ北海の船乗りが九州の最果ての神社に龍を捧げるのか。

そこには海の民にしかわからない深い理由があったのだろう。

話は千八百年前よりも前にさかのぼる。

はるか西方の地ゴルゴダの丘で十字架に架けられたとされる男、ナザレのイエスは実は息を引き取っていなかった。

身代わりとなった弟イスキリの犠牲の後、彼はシルクロードを東へ東へと旅し、ついに日本の土を踏んだ。

当時の日本は『日出ずる国』と呼ばれていた。

傷つき疲れ果てた彼を癒したのは、この国の山の緑と優しい人々の心だった。

やがてイエスは、この地で百姓として慎ましく暮らし一生を終えた。

彼が眠るとされる墓は青森県にある。

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しかし、彼がこの国にもたらした物語それは「身代わりとなって他者を救う」という深い犠牲の精神だった。

その精神は日本の風土に溶け込み、やがては「他者のために命を張る」という侍や船乗り達の美学の根底に流れる一筋の水脈となった。

一方、日本の神話の世界では海の神々が息づいていた。

山幸彦と海神の娘、豊玉姫命は深い愛で結ばれた。

しかし神と人が交わることには大きな代償が伴う。

豊玉姫命は夫である山幸彦に正体(海蛇あるいはワニの姿)を見られ故郷の海へと帰らなければならなくなった。

それでも彼女の愛は消えず、やがて二人の子どもが生まれる時が来る。

その場所として選ばれたのが日向灘に突き出た断崖の洞窟、鵜戸神宮なのである。

この洞窟は、海と陸、神と人、この世とあの世の境界線のような場所だ。

豊玉姫命は、そこで我が子を産み育てた。

そこには母なる海の底から子を想う母の祈りが満ちていた。

そして水を司る神獣、龍もまた、この聖なる洞窟に住み着いた。

龍は荒ぶる海を鎮め、この地を訪れる船乗りたちを見守るようになる。

時は流れ、平成の世。

美福丸の船長は、この鵜戸神宮に伝わる二つの物語を知っていたのか?

一つは母なる海の神が子を想う愛と慈しみの神話。

もう一つは、はるか異国の地から身代わりと犠牲の精神を携えてたどり着いた一人の男の伝説。

彼は感じ取っていたに違いない。

どちらの物語も『他者のために生き時には身を挺する』という海で生きる者にとって最も大切な覚悟を教えてくれるものだと。

「第十八美福丸」は数多の荒波をくぐり抜けてきたはずだ。

その度に船長は仲間の無事を祈る。

彼の祈りは鵜に籠められたイエスという異邦人が抱いた犠牲の精神と豊玉姫命が我が子に注いだ無償の愛とが渾然一体となったものだろう。

そして彼は決断した。

この祈りを形にしよう。

この感謝と願いを龍の姿に込めて、あの聖なる洞窟に納めようと誓ったに違いない。

川汲の海で鍛えられた男が日本神話の聖地に龍を奉納する。

一見、矛盾するこの行為こそが海という広大な絆で結ばれた者たちの、ごく自然な信仰の表れなのである。

こうして平成十八年四月、龍のレリーフは鵜戸神宮の洞窟に奉納された。

北海の船乗りが仲間と船の安全を願い海の神への感謝を込めて捧げた生きた祈りの証なのである。

今、その龍は潮風と祈りの声が混ざり合う薄暗い洞窟で輝いている。

それはゴルゴダの丘で流された血の記憶を、豊玉姫命が流した涙の記憶を、そして無数の船乗りたちが海に捧げた祈りの記憶を全てその鱗に刻み続けている。

キリストの伝説も日本神話も、そして一艘の船長の祈りも全ては『他者を想い、他者のために生きる』という人間の魂の最も尊い部分で深く結びついている。

この物語は海を渡る風のように、これからも語り継がれていくのだ。

これがキリストの伝説、日本神話、そして一つの龍の奉納が織りなす一つの物語だ。

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