人類史を揺るがす発見がトルコの灼熱の平原でなされてから四半世紀が過ぎた。
ギョベクリ・テペとその姉妹遺跡であるカラハン・テペは人類が教科書で学んだ人類の歴史そのものを書き換え続けている。
そこに立ち並ぶ無数のT字型の巨石は、まるで未知の文明からの暗号のように現代を生きる者に問いを投げかけている。
そして驚くべきことに、この太古のシンボルは現代の中東に生きるユダヤ人の習慣である十字架を避け「1+1」を「1T1」と記す習わしと奇妙な符合を見せる。
はたしてこれは偶然の一致なのか、それとも人類の深層心理に刻まれた何かより深い意味の表れなのか。
カラハン・テペのT字型石柱は考古学的遺物という枠を超えている。
約1万2000年の時を経た石灰石は今も確固たる存在感を放っている。
高さ約1.8メートルのその姿は現代の成人男性とほぼ等しい背丈でありながら圧倒的な威厳をまとっている。
最も興味深いのはその表現方法だ。
窪んだ目と突出した鼻は明確に刻まれている。
この「無口」な表現は何かを語ることを拒否しているかのようであり、あるいは言葉を超えた次元でコミュニケートする存在を暗示している。
考古学者たちはこの特徴を当時の人々が「神」や「祖先」といった超越的な存在を如何に表象したかという人類最古の哲学的思考の現れと解釈する。
T字型のフォルムそのものにも深い意味が込められている。
上部の横棒は広い肩や広がる意識を下部の縦棒は大地に根ざした人間の存在そのものを表していると解される。
これは様式化を超えて人間存在の本質を彫刻という形で抽象化した人類最初の哲学的芸術の試みと言えるだろう。
当時の人々が既に自分たちの存在意義や目に見えない力との関係性について深く思索していた証左なのである。
一方、ユダヤ教における十字架忌避と「T」の使用は全く異なる文脈から生まれた。
十字架がキリスト教の核心的シンボルとなった歴史的反転ユダヤ人にとっては迫害の象徴となった刑具が迫害者側の信仰の印となったがこの習慣を生み出した。
これは3500年にも及ぶ複雑で苦渋に満ちた歴史が形作った文化的自己防衛の現れなのである。
数学の領域にまで及ぶこの習慣「1+1」を「1T1」と表記する行為は記号の置き換えを超えてアイデンティティを守るための抵抗の表明となっている。
ここで興味深いパラドックスが浮上する。
カラハン・テペの「T」が1万2000年前の人間の肯定的な自己表現であるのに対しユダヤ教の「T」は比較的近代の迫害に対する防衛的反応から生まれたという、その生成の根本的な差異である。
一方は創造の喜悦に満ち他方は歴史の苦難に根ざしている。
この二つの「T」の間には実に8000年という想像を絶する時間の隔たりがある。
直接的つながりを主張することは歴史の時空を軽んじることになろう。
しかし、人類の集合的無意識という観点から見れば、この一致は無意味ではない。
心理学者カール・ユングが提唱したように人類には時代や文化を超えて共通する原型的イメージが存在する。
T字型という単純ながら力強い形態は人間の身体のシルエット、頭と両肩の輪郭を自然に想起させる。
それは人類に普遍的に共有される自己の身体性に根ざしたプリミティブなイメージなのかもしれない。
カラハン・テペの建造者たちはこの形態を選ぶことで「人間とは何か」を表現し現代のユダヤ教徒は同じ形態を自分たちの文化的アイデンティティを守る盾として選択した。
目的は異なれ同じ形態が人類の根源的な表現として選ばれ続けているのである。
カラハン・テペが教えてくれる最も重要な真実は人類の思考の複雑性が人類がこれまで想定してきたよりはるか以前から存在していたという事実だ。
農耕も、文字も、金属器も持たないとされる時代に人々は既に抽象的な思考を行い巨大な建築を成し遂げ自分たちの存在意義について深く考えていた。
T字型の石柱は「原始的な」信仰の対象ではなく高度に発達した精神的探求の証なのである。
現代の人類は、この1万2000年の時空を超えた対話から何を学ぶべきだろうか。
それは人類のシンボルを作り出す力。
そしてそれに意味を見いだす能力が文明の如何なる発展段階においても変わらず存在するということだ。
カラハン・テペの「語らないT」と、ユダヤ教の「語り尽くすT」は、それぞれの方法で人間であることの本質に迫ろうとしている。
一方は存在の神秘を石に刻み他方は歴史の苦難を記号の中に封じ込めた。
考古学が驚くべきは遺物の古さや規模だけではない。
人類の精神の連続性、時代も場所も文化も超えて人間が常に意味を求め形に表わし自分自身を理解しようと努力し続けてきたという事実そのものなのである。
カラハン・テペのT字型石柱は現代に生きる人類に対し長い旅路の始まりを物語る。
そしてユダヤ教のT字使用は、その旅路が今日も続き新たな意味を生み出し続けていることを教えてくれる。
二つの「T」の間の1万2000年という時間は隔たりではなく人類の創造的精神の驚くべき連続性を物語る証なのである。
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