この話は遠い昔、智慧の光が海を渡り東の島国へと辿り着いた頃から語り継がれてきた。
考古学の学者たちはインドから伝わる聖なる言葉サンスクリット語の響きに深く魅了された。
彼らは、その言葉が織りなす音の一つ一つに宇宙の真理が宿ると信じていた。
サンスクリット語には基本となる48の聖なる音がある。
日本語の「あいうえお」から始まる音の並びが不思議なほどにその体系と響き合う。
まるで地球の東西で異なる文化が同じ真理へと辿り着いたかのようだ。
その音は、自身の内なる響きと重なり合い、やがて日々唱える日本語の五七調の調べと溶け合った。
目の前には、月光に照らされた経典の文字が、まるで生きているかのように輝いている。
文字は単なる記号ではない。
音は、ただの空気の振動ではない。
それらは遥かな時を超え、国境を越え、人々が真実を探求する旅路の足跡なのだと。
48の音は世界のあらゆる場所に存在する真理の扉を開く鍵であり、それはサンスクリット語にも、そして日本語の奥底にも確かに宿っている。
探求は、やがて日本の言葉と文化に目に見えない形で、その痕跡を残していった。
唱える真言は心の奥底から響き渡り日本語の美しさとサンスクリット語の神聖さが、まるで二つの異なる川が一つに合流するように融合していくのを感じた。
そして、その音の旅は現代に生きる私たちにも受け継がれている。
私たちが何氣なく発する「あ」の一音にも、遥かインドの地に響いた聖なる音の残響が微かに宿っているのかもしれない。
それは言葉が紡ぐ時を超えた真実の物語なのだ。
『四十八の月、四十八の太陽』
言葉は海を渡るとき何を失い何を覚えてきたのか?
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