約1万500年前に現在のベルギーにあたる地域で暮らしていた中石器時代の女性の顔が、古代DNA分析の進歩によって現代によみがえりました。
ゲント大学の研究チームが主導したこの画期的なプロジェクトは、マルゴー洞窟で発見された女性の遺骨から貴重な遺伝情報を抽出し当時の人々の姿を驚くほど詳細に再現することに成功しました。
1980年代後半、ベルギー南東部ディナン近郊のマルゴー洞窟で行われた発掘調査において9体の女性遺骨が発見されました。
この発見自体が考古学的に極めて珍しい事例でした。
中石器時代の埋葬地では通常、男女や子供が混在しているのが一般的であるため、女性のみが集団で埋葬されていたことは特筆すべき特徴です。
さらに洞窟が数百年にわたって埋葬場所として使用されていた事実は、当時の狩猟採集民が移動生活を送りながらも特定の場所に強い精神的・文化的な結びつきを持っていたことを示唆しています。
遺骨の多くに施されていた黄土(オーカー)の痕跡は、この地で行われた儀式的な行為の証拠と考えられています。
ゲント大学の考古学者イザベル・デグルーテ氏率いる研究チームは、このうち1体の女性の頭蓋骨から良好な状態のDNAを抽出することに成功しました。
分析結果から浮かび上がったのは、青い瞳と黒い髪そして当時の西ヨーロッパの狩猟採集民としては比較的明るい肌色を持つ女性像でした。
この発見は、中石器時代のヨーロッパ人集団がこれまで考えられていた以上に多様な遺伝的特徴を持っていた可能性を示しており、人類移動史の理解に新たな視点を加えるものです。
形態学的分析によれば、この女性は35歳から60歳の間に亡くなったと推定されています。
高い鼻梁と発達した眼窩上隆起といった頭蓋骨の特徴は、ほぼ同時期にイギリスで発見された「チェダーマン」と同じ人類集団に属することを示唆していますが興味深いことに肌の色はチェダーマンよりも明るかったことが判明しました。
研究チームはDNA分析で得られた遺伝情報に加え、ムーズ川流域の考古学的発見を総合的に活用して、この女性の詳細な復元像を作成しました。
復元図には、革製の髪飾りや羽、耳飾り、そして肩から腕にかけての縞模様のボディペイント(あるいはタトゥー)が表現されています。
これらはすべて、当時の装飾文化を再現するために慎重に考証された要素です。
この研究成果は、古代DNA解析技術が現代科学にもたらした革命的な進歩を如実に示す事例です。
特に、単一集団内における肌の色の多様性の発見は中石器時代の人類集団の移動と混血の歴史を再考する必要性を提起しています。
また、マルゴー洞窟にみられる特異な埋葬習慣は当時の社会構造や文化的慣習に関する新たな研究課題を提供するもので今後の考古学研究の発展に大きく寄与するものと期待されています。
1万年以上の時を超えて現代に甦ったこの女性の姿は、物理的特徴の再現を超え遠い過去に生きた人々の生活様式、美的感覚、そして文化的アイデンティティを伝える貴重な窓口となっています。
この研究が明らかにした事実は私たちの祖先がどれほど複雑で多様な社会を築いていたかを改めて認識させるものです。
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