※初めて聞いたニーナの曲『I Wish I Knew How it Would Feel to Free』
プロフィール
ニーナ・シモン(Nina Simone/1933年2月21日 – 2003年4月21日)は、アメリカ合衆国のアフロアメリカンシンガー「本名はユニース・キャスリン・ウェイモン」
1933年2月21日ノースカロライナ州タイロンで7人兄弟の6番目として生まれました。
4歳からピアノを弾き始めたニーナシモンは、当時から一目置かれる存在で彼女の才能に花を咲かせようと、周囲のバックアップを得てニーナシモンは本格的に音楽の道を歩みます。
1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・BARで、ピアノを弾くことになり、このBARのオーナーに薦められ歌い手となり、名前をニーナ シモンと改めました。
尊敬するフランスの女優、シモーヌ・シニョレから名前をいただきニーナ・シモンとなったようです。
60年代後半から黒人解放の歌を積極的に歌い「ジャズ」の枠に収まらないハスキーでソウルフルな歌唱は瞬く間に世界の人々を魅了しました。
彼女の音楽はジャズに限らずブルース、ゴスペル、フォーク、ポップスなど幅広いジャンルを取り入れ、黒人女性シンガーブラックミュージックのリーダー的存在となります。
フィリップスを経てRCAの専属となってからは、ボブ・ディラン、バート・バカラックなどの歌も歌い、ロック世代の心をガッツリと掴みました。
1987年にはシャネルが自社の香水ブランド「No.5」のCMソングに採用されるなど流石アフロアメリカンシンガーのBOSS
その後、拠点をフランスにおき活動していましたが
2000年を過ぎてから乳癌による闘病生活の末 2003年4月21日 フランスの自宅で70年の生涯を終えました。
ニーナ・シモン の歴史に残る『ベストソング』
数年前にアメリカの新聞で ニーナ・シモン の歴史に残る『ベストソング』をまとめていたの紹介します。
まとめ
”ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー”に選ばれた彼女は、『自分たちが生きている環境や現状をを作品に反映させることがアーティストとして自分の使命です』
と語ったニーナ・シモンの純粋な活動にインスパイアされた方々は数多く、時代を超えて人々を惹きつけて止まない。
本物はいつまでも廃れないで聴ける曲ですね。
『ジョージア・アン・マルドロウ」日本来日
ロサンゼルス生まれの現代のニーナ・シモンこと『ジョージア・アン・マルドロウ(Georgia Anne Muldrouw)』
生きたソウルフルの生歌が日本で聴けます!
2019年2月10日(日)と11日(月)に東京 青山 BLUE NOTE TOKYO のステージに来日。
ブレインフィーダーから発表された最新作も話題沸騰 “現代のニーナ・シモン”とも称される才媛が待望の初来日 Music Charge : ¥7,800(税込)Jam Session会員予約受付開始日:12.27 thu. 一般Web先行予約受付開始日:1.3 thu. 一般電話予約受付開始日:1.6 sun. 公式サイト:チケット予約 |
今年設立10周年を迎えるロータス主宰レーベル[Brainfeeder]と契約し、3年ぶりのオリジナルアルバムとなった『Overload』
シンガー、ソングライター、プロデューサーとして才能溢れる『ジョージア・アン・マルドロウ』今後の活躍が見逃せない!
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