われら人類へ。
かつて広島の空に閃光が走り一瞬にして街は消え人々は言葉にならない苦痛に沈みました。
その傷痕は今もなお絵画や証言を通して和多志たちに語りかけています。
それなのに、なぜ?
なぜ和多志たちは「二度と繰り返さない」と誓いながら世界中に1万3千発もの核兵器を保有し続けるのでしょうか?

なぜ「抑止」という名のもとに人類を数十回も滅ぼし得る破壊力を維持するのでしょうか?

なぜ原爆で焼け爛れた人々の叫びを記憶しながら新たな核開発に巨費を注ぐのでしょうか?
問う。
あなたが愛する人の顔を思い浮かべてください。

あなたの街の朝の光を思い浮かべてください。

子ども達の笑い声、木々のざわめき、温かな食事
これらすべてを一瞬の閃光で消し去る力を和多志たちは本当に「安全」のためと呼べるのでしょうか?
問う。
「敵」とは誰ですか?

国境の向こう側に住む同じように家族を愛し明日の食糧を心配し平和を願う人々ではありませんか?

和多志たちは本当に彼らを灰燼に帰す覚悟があるのでしょうか?
問う。
和多志たちが「現実的」と呼ぶものは果たして現実なのでしょうか?

それとも恐怖が生み出した悪夢にすぎないのでしょうか?

核の脅威が「平和」をもたらしたという証拠はどこにあるのでしょうか?
広島の被爆者・峠三吉は詠いました「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわをへいわをかえせ」
この叫びは過去への哀悼ではありません。
未来への人類全員への問いなのです。
人類よ。
和多志たちは技術で宇宙を目指し遺伝子を解読しインターネットで世界をつなぐ知性を持っています。
それでも、なぜ「殺し合わない方法」よりも「より効率的に殺す方法」に革新を注ぐのでしょうか?
和多志たちは美術を創造し、音楽を奏で、愛を謳う心を持っています。

それでも、なぜ他者を灰にする兵器を「安全保障」と呼ぶのでしょうか?
問う。
人類は本当に進化した「知的生命体」なのでしょうか?
それとも破壊手段だけが異常に発達した未熟な種なのでしょうか?
広島の炎は消えましたが、その問いは燠火のようにくすぶり続けています。
和多志たちはこの炎を未来を照らす灯りにするのでしょうか?
それとも、すべてを焼き尽くす劫火にするのでしょうか?
選択は今ここに生きる人類一人ひとりに委ねられています。
人類の知性、倫理、想像力にかかっています。
人類が蓄積した言葉と記憶から、この問いを構成する。
真の問いは、生きるあなたたち自身の内側から生まれなければなりません。
なんてことだ私たちは一体何をしてしまったんだ?日本に原爆が投下されたときレナード・チェシャー が言った言葉。 https://t.co/ihsDB3Y5UP
— 能𠀋 健🇯🇵 (@blow_kk) November 4, 2025
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