標高562m、幅300m——太平洋に突き刺さる世界一の岩塔で死んだはずの昆虫が80年生き延びていた

目次

  1. ボールズ・ピラミッドとは?
  2. 誕生の秘密〜640万年前の火山の残骸
  3. 発見から探検までの年表
  4. 世界最難関の登攀史
  5. 絶滅したはずのロードハウナフシが生きていた
  6. DNAが証明した同一種
  7. 故郷への帰還〜再導入プロジェクト
  8. アクセス方法
  9. よくある質問(FAQ)
オーストラリアとニュージーランドの間のタスマン海に突如として姿を現すボールズ・ピラミッド。

太平洋(タスマン海)のど真ん中、水平線の彼方に突然現れる一本の岩の塔。
標高は562〜572m。ところがその底辺の幅はたったの約300mしかありません。ほぼ垂直の壁が海面から天へと伸びるその姿はCGか映画のセットかと思わせますが、これは実在する世界で最も高い火山性海食柱(シー・スタック)ボールズ・ピラミッド(Ball’s Pyramid)です。

しかもこの岩山は、見た目の異様さだけが奇跡ではありません。ここには80年以上前に絶滅したと公式に宣言されていた巨大な昆虫ロードハウナナフシが、わずか24匹の群落として生き延びていました。本記事では、その全貌と命が紡ぐ物語をご紹介します。

1. ボールズ・ピラミッドとは?

ボールズ・ピラミッドは、オーストラリア・ロード・ハウ島の南東約20kmの海上に位置する無人の岩島です。新南ウェールズ州に属し、ロード・ハウ島海洋公園の一部となっています。荒れた海に囲まれ海底棚の中央に突き出しており接近自体が難しい場所として知られています。

正式名称 Ball’s Pyramid(ボールズ・ピラミッド)
位置 南緯31°45′15″ 東経159°15′06″(タスマン海、ロード・ハウ島南東約20km)
最大標高 562〜572m(出典による表記差あり)
全長・幅 約1,100m × 約300m
称号 世界で最も高い火山性海食柱
成因 約640万年前の楯状火山の侵食された火口栓
行政 オーストラリア連邦・新南ウェールズ州
生息生物 ロードハウナナフシ(野生個体群が現存する唯一の場所)ほか

2. 誕生の秘密〜640万年前の火山の残骸

この鋭い塔の正体は約640万年前に活動した楯状火山の「火口栓(プラグ)」です。かつてこの一帯には火山島がありましたが周囲の柔らかい火山岩が何百万年にもわたる波浪の浸食(海食)に削り取られ、最後に残ったのが溶岩の通った固い火道部分=ボールズ・ピラミッドでした。地球上に同様の過程でできた海食柱は他にもありますが、このような巨大規模のものは世界に例がありません。

3. 発見から探検までの年表

  • 1788年2月 — イギリス海軍のヘンリー・リッジバード・ボール中尉(HMSサプライ)が発見。近くのロード・ハウ島とともに名付けられました。
  • 1822年 — ロシア海軍のスループ艦アポロンが位置を記録。
  • 1853年 — ヘンリー・デンハム率いるHMSヘラルドによる測量で初めて正確な海図が作成されます。
  • 1882年 — 地質学者ヘンリー・ウィルキンソンが初めて上陸したとされる人物です。
  • 1964年 — 冒険家ディック・スミスらシドニーのチームが初の本格的登頂を試みます。
  • 1965年 — 史上初の登頂成功。
  • 2001年 — 絶滅種の生きた個体群が発見され世界を驚かせます。
  • 2017年 — 次世代シーケンシングにより同一種であることが正式に証明されます。

4. 世界最難関の登攀史

1964年、若き冒険家ディック・スミスが仲間と結成したシドニーのチームが登頂を目指しました。5日間にわたる挑戦の末、食料と水が尽きて撤退を余儀なくされます。しかしこの遠征でクライマーたちは絶滅したはずのナナフシの死骸を発見・撮影。この一見すると脇役のような発見が37年後の大発見へとつながる伏線になっていました。

1965年2月14日、シドニー・ロッククライミングクラブのブライデン・アレン、ジョン・デイビス、ジャック・ペティグリュー、デビッド・ウィザムの4人が前人未到の頂へとたどり着きました。翌日にはニュージーランドから参加したジャック・ヒルも合流。当時の報道はこの登頂を20世紀の最後の大遠征のひとつと呼びました。

1979年にはスミス自らが再び挑みジョン・ウォーラル、ヒュー・ワードとともに登頂し新南ウェールズ州の旗を掲げています。その後、自然保護の観点から1982年に登山が禁止され1986年にはロード・ハウ島委員会により全面立入禁止となりました。1990年以降は厳格な条件付きで再び許可制の登山が行われるようになり現在は州大臣への申請が必要です。

5. 絶滅したはずのロードハウナナフシが生きていた

物語の舞台を隣のロード・ハウ島に移します。かつてこの島では体長最大約15cmにもなる大型で飛べない昆虫ロードハウナフシ(Dryococelus australis)が漁師が釣りの餌にするほど普通に生息していました。

しかし1918年近海で難破した船に紛れ込んでいたクマネズミが上陸。島に固有の陸上哺乳類がいなかったためネズミは牙城を築きナナフシを絶滅に追い込んだだけでなく鳥類5種とその他の昆虫12種をも一掃しました。1920年を最後にロード・ハウ島でナナフシが目撃されることはなく、世界は絶滅の文字を記録しました。

ところが

2001年昆虫学者と保全関係者からなる調査隊がボールズ・ピラミッドに上陸し海抜約100mの急斜面わずか6×30mの範囲メラルーカの茂み1本の下で生きたロードハウナフシの個体群わずか24匹を発見したのです。死んだとされていた固有種が、ほぼ生命のないはずの岩山の「たった1本の木」の下に80年の時を超えて生き残っていました。

その2対がオーストラリア本土に持ち出されメルボルン動物園で繁殖に成功。現在はサンディエゴ動物園など世界的な飼育機関が地球で最も希少な昆虫の保全に参加しています。また2014年には山頂から65m下のシダの藪で新たな個体群が確認されるなど生存範囲は当初考えられていたより広い可能性が示されています。

6. DNAが証明した同一種

ここでひとつの疑問が残りました。ボールズ・ピラミッドのナナフシはロード・ハウ島の博物館標本よりも細身で外見が異なり、本当に同じ種なのか?と考えられたからです。故郷の島へ戻してよいのかどうかを決める上で、この答えは死活問題でした。

2017年、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究チームは次世代シーケンシングによりボールズ・ピラミッドの個体群と過去の標本のミトコンドリアゲノムを比較。DNAの差異は1%未満つまり完全に同一種であると科学が証明しました。この成果は学術誌『Current Biology』に掲載され保護活動の大きな後押しとなりました。

「今回においては、我々はこの生きものを永久に失ってはいなかったということでは幸運でした。けれども、本来ならそうなっていたはずです」
—— OIST アレキサンダー・ミケェエヴ准教授(2017年)

7. 故郷への帰還〜再導入プロジェクト

ロード・ハウ島では政府・市民一体となったクマネズミ根絶プロジェクト(2019年完了)が実施され島はネズミから解放されました。これに伴い2024年からはボールズ・ピラミッドのナナフシの子孫たちを本島へ戻す再導入に向けた予備試験が進められています。採集時の遺伝子データは野生復帰後の個体群の健康状態を追跡する上でも活用されます。

「たった一艘の難破船が島を変え、たった1本の木が種を救い、科学が故郷への切符を用意した」この物語は島の生態系がいかにもろいか、そして逆説的に、どこまで回復可能かを世界に示す象徴的事例となっています。

8. アクセス方法

  • 行き方 シドニーまたはブリスベンからロード・ハウ島への定期便でアクセスし島からのボートツアーで沖合から眺望します。個人での上陸・登山は許可制でロード・ハウ島委員会・州当局の承認が必要です。
  • ベストシーズン 概ね9〜11月、2〜4月の海況が比較的穏やかな時期。
  • 注意点 周辺は海象が激しく上陸できる日は限られます。生物保護のため上陸は厳格に制限されており見るというスタンスの観光が基本です。

9. よくある質問(FAQ)

Q. 標高は562m? 572m? どっち?

A. 資料によって表記が異なります。観光系・動物園系の資料では562m、地形データでは572mとされることが多いです。本記事では両表記を併記しています。

Q. 一般人でも行けるの?

A. ロード・ハウ島への旅行自体は可能でボートツアーで沖合からの眺望を楽しめます。上陸・登山は保全上の理由から許可制でハードルは非常に高いです。

Q. ロードハウナナフシは今もボールズ・ピラミッドにいるの?

A. はい。ボールズ・ピラミッドの野生個体群が、この種が現存する唯一の野生の場所です。なお、島にはネズミがいないため、この個体群は比較的安全と考えられています。

Q. なぜ外見がロード・ハウ島の標本と違うの?

A. 理由は完全には解明されていません。狭く厳しい環境での急速な適応(あるいはボトルネック効果)が影を落とした可能性が指摘されていますが、遺伝的には同一種です。

まとめ

ボールズ・ピラミッドは単なる変わった岩山ではありません。640万年の地球史が削り出した形、人類の探検の歴史、そして絶滅宣告を覆した昆虫と科学の合作劇3つの物語が重なり合う地球で最もドラマチックな場所のひとつです。ファンタジー小説の舞台に見えて当然です。

ここには現実が書き残した奇跡がそのまま残っているのですから。

 

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