ルツェルンの森に囲まれた公園の一角で岩肌に一頭の瀕死のライオンが訪れる者に衝撃を与え続けている。
これは石に封じ込められた歴史の重みでありスイスが経験した悲劇の記憶そのものである。
1821年に完成したライオン記念碑はデンマークの巨匠ベルテル・トルヴァルセンの設計によりルツェルンの石工ルーカス・アホルンが自然の岩壁に直接彫り込んだ傑作である。
長さ10メートル、高さ6メートルに及ぶこの巨大なレリーフはスイス人傭兵の忠誠心と犠牲の精神を永遠に伝えるために存在している。
その背景にはフランス革命の混乱の中で起きた悲劇的な事件が横たわる。
1792年8月10日パリのチュイルリー宮殿を革命派の暴徒が襲撃した。
当時、フランス王ルイ16世とその家族を守っていたのはスイス人傭兵からなる衛兵隊であった。
彼らは圧倒的な数の敵に囲まれながらも最後まで忠誠を尽くし約760名が壮烈な死を遂げた。
この事件はスイス国内に深い悲しみと衝撃をもたらしスイス傭兵の歴史に決定的な転換点をもたらしたのである。
生き残った衛兵の一人、カールは戦友たちの無念の死を悼み、その偉業を後世に伝えるための記念碑建設を発案した。
彼は1818年にプロジェクトを開始し当時ヨーロッパで最も著名な彫刻家の一人であったトルヴァルセンに設計を依頼した。
トルヴァルセンはこの依頼を受けるにあたり戦没者慰霊碑を超えた普遍的な悲しみと尊厳を表現する作品を構想した。
岩壁に横たわるライオンは槍に貫かれた深手を負いながらも、その表情には苦悶とともに深い尊厳が宿っている。
ライオンの体の下にはフランス王家の紋章である百合の花(フルール・ド・リス)とスイスの十字が刻まれた盾が置かれており二つの国の絆と衛兵たちの忠誠を象徴している。
この彫刻の偉大さは単に技術的な完成度の高さにあるのではなく悲痛でありながらも美しいという矛盾した感情を見事に表現している点にある。
記念碑の上部にはラテン語で「HELVETIORUM FIDEI AC VIRTUTI」(スイス人の忠誠と勇気に捧ぐ)という銘が刻まれ犠牲者の数(760人死亡、350人生存)も記録されている。
これらの数字は人間の生命の重みを感じさせる生々しい証言である。
ライオン記念碑は完成以来、歴史的モニュメントを超えた文化的象徴となってきた。
アメリカの作家マーク・トウェインが1878年にこの地を訪れ記念碑を「世界で最も悲しく、最も感動的な石の彫刻」と評したことはよく知られている。
トウェインのこの言葉は、この作品が持つ情感の深さを見事に言い表している。
現在、ライオン記念碑はルツェルンの旧市街から徒歩10分ほどのデンクリパークに位置し年間約140万人の観光客が訪れるスイス有数の観光名所となっている。
アクセスはルツェルン中央駅からバスでも徒歩でも容易で入場は無料であるが周辺の氷河庭園や博物館は有料の場合がある。
混雑を避けたい場合は朝早い時間帯や夕方がおすすめ。
2006年にはスイスの文化財保護対象に指定され保存とメンテナンスが徹底されている。
岩の劣化を防ぐための措置が取られながらも彫刻の持つ荘厳な雰囲氣は損なわれていない。
興味深いことに、トルヴァルセンは当初ライオンをより威厳に満ちた姿で表現することを考えていたと言われる。
しかし、資金不足や現地の岩の形状などの制約から現在見られるような「瀕死」でありながらも「尊厳ある」ライオンの表現が生まれた。
この制約がかえって、より深い情感をたたえた傑作を生み出す結果となったのである。
ライオン記念碑は戦争の悲劇、忠誠の意味、そして人間の勇氣についての普遍的な問いを投げかけ続けている。
ルツェルンを訪れる旅人は、この哀愁に満ちたライオンの姿を通して歴史の重みと人間の情感の深さを感じ取ることができるのである。
静かな森の中にたたずむこの石の彫刻は、訪れる者に対話を求め時代を超えたメッセージを伝え続けている。
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