「アシガバート」その名を聞くと白く輝く大理石の宮殿が林立し広々とした大通りが整然と走る中央アジアの神秘的な首都を思い浮かべるだろう。
この都市はトルクメニスタンの首都という枠を超え強大な国家権力が具現化された一種の屋外博物館とも言える存在だ。
その景観は圧倒的な非日常性を放ちながらも、そこに生きる人々の現実とは奇妙なコントラストを形成している。
アシガバートの最大の特徴は何と言っても街全体を覆う白大理石の建築群である。
これは1990年代後半から2000年代初頭にかけて初代大統領サパルムラト・ニヤゾフの強い意志によって推進された大規模な都市改造プロジェクトの結果だ。
ソ連時代の無機質な建物は次々と取り壊され、その跡に純白の大理石で覆われた豪華な建造物が立ち並んだ。
この壮大な計画の目的は明確だった。
新たに独立した国家の威信と富を世界に示し国民に国家的誇りを植り付けること。
街歩きをするだけで一種の「建築プロパガンダ」であることを肌で感じ取れる。
しかし、この白亜の景観は美的選択の結果だけではない。
その背後にはトルクメニスタンの独特な政治体制が深く関係している。
同国は強力な大統領制を敷く権威主義的国家として知られニヤゾフ元大統領とその後継者であるベルディムハメドフ現大統領の下で中央集権的な統治が続けられてきた。
アシガバートの都市計画は、この政治体制を可視化する装置として機能している。
高さ75メートルに及ぶ「中立の門」は国の永世中立を宣言すると同時に頂点に立つ金箔のニヤゾフ元大統領像が時間とともにゆっくりと回転するという一種の権力の神格化を表現している。
211メートルの高さを誇るトルクメニスタンタワーや巨大なドームが特徴的な婚礼宮殿など各建造物は機能以上の意味を担わされている。
こうした国家的プロジェクトの陰で約100万人の市民たちはそれぞれの生活を営んでいる。
市南東部のArchabil地区には政府高官が住む豪華な住宅が並び南西部のKopetdag地区では中流階級の家族たちが公園でのんびりと時間を過ごす。
北東部のBagtyyarlyk地区では富裕層が広々とした庭付きの家に住む。
一見すると完璧に見えるこの都市にも現実の課題は存在する。
住宅価格は異常なまでに高騰し一般市民が適切な住居を確保するのは容易ではない。
大氣汚染も深刻で美しい外観とは裏腹に住民の健康を脅かす要因となっている。
アシガバートを訪れた観光客が最初に感じるのは、その不自然なまでの完璧さへの戸惑いだ。
街にはゴミひとつ落ちておらず建物は常に完璧な状態に保たれている。
しかし、よく観察すると、この完璧さの裏側にある現実が見え始める。
白大理石のファサードの陰には、まだ改造されていない古いソ連時代のアパートがひっそりと残っている。
整備された大通りから一歩裏路地に入れば、そこには普通の人々の生活がある。
このギャップがアシガバートの持つもう一つの真実を物語っている。
国家的な記念碑的建造物の数々は、それぞれが物語を帯びている。
ルフイヤトモスク(トルクメンバシ・ルヒモスク)はニヤゾフ元大統領の思想書『ルフナマ』がコーランと並んで安置されていることで知られる。
独立記念碑は金色に輝く五本の塔でトルクメン五部族を象徴しその周りを威厳ある彫刻が取り囲む。
アシガバート・ヒッポドロームでは国宝であるアハルテケ馬の競走が華やかに行われる。
これらの施設は国家イデオロギーを市民に浸透させる役割を果たしている。
アシガバートの都市計画は現代における権力と建築の関係を考える上で極めて興味深いケーススタディを提供している。
ここでは建築が政治的なメッセージを伝える媒体として活用されている。
純白の大理石は純粋さと完璧さを象徴し巨大なスケールは国家の力の大きさを表現する。
整然と区画された街並みは社会の秩序と統制を反映している。
この街を歩くことは権力が如何にして物理的環境を通じて人々の意識形成を試みるかを体感する作業でもある。
しかし、どんなに強大な権力も完全に現実を塗り替えることはできない。
アシガバートの白亜のファサードの陰には常に人間の生活の現実が存在する。
市場では主婦たちが値切り交渉をし公園ではカップルがデートを楽しみ路地では子どもたちが遊び回る。
国家が設計した完璧な都市像と、そこに住む人々の生き生きとした生活。
この二つの要素が交錯するところにアシガバートの真の姿がある。
最終的にアシガバートは訪れる者に深い問いを投げかける。
都市とは誰のためのものなのか?
美しさの代償とは何か?
国家権力と個人の生活の間の適切な距離はどこにあるのか?
白大理石の輝きは観光写真の対象ではなく、これらの重い問いを内包した複雑な現実なのである。
この街は中央アジアの真珠であると同時に権力と建築、理想と現実が交錯する現代のぐうげんでもあるのだ。
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