【インドから中国を経て皇居へ】前田青邨『石橋』と能楽師が紡ぐ永遠の型

皇居宮殿の連翠と呼ばれる建物の中に石橋の間という広さ約二百四十五平方メートルの部屋がある。天皇が記者会見など国民に向き合う最重要の場だ。その部屋の名は壁一面を飾る一幅の絵に由来する。日本画家前田青邨が描いた『石橋』赤い髪を振り乱し、大きく口を開け、金地の背景に力強く舞う獅子の精。その迫力は見る者の魂を一瞬で捉えて離さない。なぜこの絵が皇居にあるのか。なぜ天皇の背後に能の獅子なのか。その答えを探る旅は時空を超えた深遠な世界への入り口だ。

この絵のモデルは能楽師の喜多六平太だと言われている。能『石橋』の主人公は獅子の精。舞台は中国の五台山、通称清涼山。旅の僧が石橋を渡ろうとすると童子が現れて言う「その先は文殊菩薩の浄土、容易に渡るべからず。待てばやがて奇瑞が現れん」童子が去った後、牡丹の花咲き乱れる中から獅子が現れ華麗に舞う。これが『石橋』のあらすじだ。能の中でも特に格式が高く祝言性の強い演目として代々の能楽師たちがその型を守り伝えてきた。

獅子は仏教と共にインドから中国を経て日本へ渡ってきた。元来は百獣の王だが仏教の世界観では文殊菩薩の乗り物であり眷属として仏法を守る存在となった。牡丹は百花の王。獅子と牡丹、二つの王者を組み合わせることで最高の格調が生まれる。さらに深い伝説がある。

獅子の体内に寄生する虫が獅子を死に至らしめることがあるが、その虫は牡丹の露を恐れるため獅子は牡丹の下で安らぐのだという。この伝説は獅子と牡丹がセットで初めて完全な守りの力を発揮するという思想を生んだ。

前田青邨はこの物語を絵画に定着させるにあたり獅子だけを描かなかった。中央に『石橋』の獅子を配し、その両脇に『紅牡丹』と『白牡丹』を描き加えた。三幅対の構成だ。中央の獅子を左右の牡丹が守る。まさに伝説が具現化した空間が、この石橋の間には創り出されている。1968年に現在の皇居宮殿が完成した際、この壁画は日本の伝統文化の精華として、この部屋に納められた。

能楽そのものが皇室と深い縁で結ばれてきた歴史を持つ。武家の式楽として発展した後、明治以降は皇室の保護の下で芸術性を高め新年の観能の儀式などは現代まで連綿と続いている。能は国の安寧を祈る儀式としての側面を持つ。その中でも『石橋』は特に祝言性が強く国家の繁栄と平和を象徴する演目として、天皇の背後に飾るにふさわしいものとされたのだ。

ここで忘れてはならないのは、この物語の舞台が中国の五台山であることの意味だ。インドで生まれ中国で育まれ日本で能という独自の芸術に昇華された獅子の物語。それは仏教文化の伝播の歴史そのものであり日中両国が千年以上にわたって共有してきた精神的な遺産でもある。

2012年、中日国交正常化四十周年を記念する伝統芸能公演で、わざわざ『石橋』が選ばれたのは偶然ではない。中国から見れば、この演目は自国の文化が海を越えて美しく結実した証であり日本から見れば文化の源流に対する敬愛の念を込めて選ばれた演目だった。

前田青邨という画家の存在もまた、この作品に特別な深みを与えている。文化勲章を受章した日本画の大家でありながら皇室に対しては生涯恭順な姿勢を貫き、この『石橋』についても自身の芸術作品というより皇室のための調度品としての意識が強かったと言われる。彼はこの絵の前で写真に写ることを生涯拒んだという。その姿勢は皇室と芸術家のあるべき距離感を示すと同時に、この絵が日本の中心に据えられた聖なるものとして意識されていたことを物語っている。

獅子の赤い髪は生命の色であり、この世ならざるものと通じる色だ。能楽師が獅子を舞う時、その意識は神懸かりの領域に達すると言われる。つまりこの絵は能楽師が獅子の精を演じる姿を描いたのではなく血筋を通じて獅子の精が現世に顕現した瞬間を切り取ったものとも解釈できる。喜多六平太という名人の舞を通して目に見えぬ神聖な力がこの場に呼び寄せられ前田青邨の筆によって永遠の形として定着されたのだ。

そして今、天皇陛下がこの絵を背負って国民に向き合う時その背後には何重もの守りが重なっている。仏法を守る文殊菩薩の獅子。その獅子を守る牡丹の花。それらを描いた前田青邨の祈り。その型を伝えてきた能楽師たちの営み。そして、その全てを受け継ぎ、現代に伝える皇室の存在。石橋の間は物理的な空間であると同時に日本の精神文化が幾重にも折り重なった聖なる結界なのである。

この絵が語りかけるものはインドの宇宙神シヴァのダンスにも通じる根源的な生命のリズム。中国の山河に息づく仏教の智慧。日本の美意識が極限まで高めた様式美。それら全てが一点に収斂し黄金の背景の中であの獅子は今も静かに咆哮を続けている。その咆哮は、この国の平安を願い国民の幸せを祈る言葉にならない言霊となって会見を訪れる全ての人々の魂に届いているのだ。

前田青邨『石橋』が皇居にある理由。

それは日本の心そのものが、この一幅の絵に凝縮されているからだ。天皇という日本の象徴が国民に向き合う時、その背後にはインドと中国と日本を結ぶ仏教文化の悠久の流れがあり能楽師たちが千年にわたって守り伝えてきた型があり画家が命を懸けて描き上げた祈りがある。そうした全てのものが目に見えない力となって、この国の中心で今も息づいている。

そのことを知る時、和多志たちはこの絵を目にするたびに、ただの観賞者ではなく、悠久の時の流れに連なる者としての自覚を呼び覚まされます。

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