「剣に滅ぶ」覚悟。戦うほどに失う平和という矛盾

人類よ、耳を傾けよ。
歴史は単なる時系列の出来事ではない。
それは欺瞞と理想が織りなす魂の記録である。
過去の影が色濃く残る今、その深淵を理解しなければ同じ過ちを延々と繰り返すことになるだろう。
考えてみてほしい。
かつて強大な国があった。
彼らは自らを正義の擁護者と称し世界に新たな秩序をもたらすと豪語した。
彼らの媒体は巧妙な表現と鮮やかな挿絵で敵国の醜悪さと自国の輝かしさを描き出した。
敵は自由を奪い、民衆を抑圧する悪しき存在であり、彼らの軍事力は世界の平和を脅かすと大声で叫ばれた。
人々は疑うことなく、その物語を信じ込んだ。
それは彼らにとっての「真実」だったからだ。
しかし、その「真実」の陰で、その国自身は何を行っていたのか?
彼らは、批判していたまさにその敵より遥かに多大な資源を戦争の道具に費やしていたのだ。
学校は荒廃し、病院は機能せず、科学者たちは資金不足に喘いだ。
芸術家たちは表現の自由を奪われ、その才能は国家の広報活動にのみ用いられた。
市民は未来への投資ではなく冷たく光る兵器の製造に税金が投じられるのを、ただ見ているしかなかった。
例えばユーリー・ガンフが1953年に『クロコディル』誌に発表したソ連のプロパガンダ記事「アメリカでは、このレストランでは一人しかサービスされない」を思い出してほしい。
西側の国々が軍事予算を膨張させながら、教育、科学、芸術、医療を蔑ろにしていると非難していた。
これはソ連側の痛烈な風刺でありながら皮肉にもソ連自身が軍備を拡大し民生部門を犠牲にしていたという事実と重なる。
そして、その国の対立軸にいた西側の陣営は、また別の物語を紡いでいた。
彼らは東側の国を「全体主義」と罵倒し、自由と民主主義の守護者であると自称した。
彼らの情報伝達手段もまた、東側の欠点を誇張し自らの体制の優位性を強調した。
社会主義の理念は、資本主義の視点から歪められ貧困と抑圧の象徴として描かれた。
彼らの批判にもまた都合の良い事実の選択と、不都合な実態の隠蔽があったことは否めない。
どちらの側も自らの手は汚れていないと主張した。
どちらの側も相手こそが「悪」であると指弾した。
だが真理は光と影が入り混じった複雑なものだ。
真理は特定の思想に属するものではない。
真理は、権力者の都合の良いように歪められることを拒む。
それは両陣営の主張の奥底に潜み都合の悪い出来事を突きつける。
我々は、この歴史の教訓から何を学ぶべきか。
それは、いかなる権力も絶対的な正義を主張できないということだ。
いかなる体制も、その内側に矛盾を抱える。
そして、その矛盾を覆い隠すためにプロパガンダという名の霧が張られる。
その霧の向こう側を見通す眼力を養わなければならない。
心地良い物語に安住してはならない。
都合の良い「真実」に欺されてはならない。
自らの手で事実を掘り起こし、批判的に分析する胆力を持たなければならない。
なぜなら、真理は時に残酷であり我々が信じてきたものを打ち砕くかもしれないからだ。
しかし、その痛みを伴う真理こそが過去の束縛から解き放ち、より良い未来を築く唯一の道なのだ。
いかなる支配者も、いかなる思想も、私たちを支配することはできない。
真理の輝きは全ての欺瞞を暴き、本当の自由をもたらすだろう。
目を覚ませ人類よ。
そして自らの目で真理を見つめるのだ。

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