タイの仏教寺院巡りは黄金に輝く仏塔や巨大な仏像だけで語り尽くせるものではない。首都バンコクから少し足を延ばせば土地ごとの深い信仰と時として観光パンフレットからはこぼれ落ちるようなユニークでニッチな物語が待ち受けている。今回焦点を当てるのは、しばしば混同され、またそれぞれが強烈な個性で旅人の心を掴んで離さない寺院「ワット・プッタ・プロムマヤン」と「ワット・タースン」である。
まずは「ワット・プッタ・プロムマヤン」から紐解こう。
この寺院はチャチョエンサオ県の穏やかな田園地帯を流れるバンパコン川の、まさに中洲に築かれている。寺院の通称は「シルバー寺院」あるいは「ガラス寺院」この名が示す通り本堂は外壁から内部の柱、天井に至るまで無数の鏡と銀色・透明のガラスモザイクで覆われており、わずかな光が無数の断片に反射して水の上に浮かぶ建築全体がきらめく宝石の箱のように輝く。この輝きは仏教における「知恵の光」や「清浄さ」の視覚的表現であると同時に訪れる者に非日常的で幻想的な空間体験をもたらす。
アクセスそのものが小さな冒険で岸辺の簡素な船着き場から地元の船頭が操る長尾船に乗り川風を浴びて数分揺られる渡航は俗世界から聖域への移行を身体で感じさせる儀式のようだ。島に足を踏み入れると、そこは喧噪から完全に切り離された静寂の世界。主役は巨大な金剛菩薩ではなく、横たわる白い涅槃仏と穏やかな表情をたたえた多くの仏像たちである。ここで興味深いのは、その名称「プロムマヤン(พรหมยาน)」が、ヒンドゥー教の創造神ブラフマーと乗り物や手段を意味する「ヤーナ」に由来する可能性がある点だ。これは仏教がタイの地で土着の精霊信仰(ピー)やヒンドゥー要素を取り込みながら発展してきた歴史の一片を名前の中に留めているのかもしれない。寺院の魅力は、その絶対的な静けさと、川の流れと鏡の反射が作り出す移ろいやすくも永遠のような時間感覚にある。
観光客は多いが団体客よりも一人あるいは少数で瞑想のように時を過ごす参拝者の姿が印象的だ。
一方、ウタイターニー県の「ワット・タースン」は、そのスケールと絢爛さにおいて一つの頂点を見せる。正式名称をワット・チャンタラムといい「タースン」は「象が渡る船着き場」を意味する古名に由来する。この寺院の最大の見どころは長さ100メートルに及ぶ「クリスタルホール(ウィハーン・ケーオ)」である。内部は壁面、柱、天井のすべてが鏡張りであり、さらに細やかなガラスモザイクの装飾が施されている。無数の電球の光が鏡に反射し無限に空間が広がるかのような感覚は、まさに「無限の宇宙(コスモス)を内包した寺院」という表現がふさわしい。これは単なる装飾ではなく仏教の教義である「無数」「無限」の概念を空間化した建築的試みと解釈できる。
しかし、この寺院の真髄は、その外観の華やかさの奥に潜む強烈なカリスマ性にある。二十世紀後半、この寺院を根本的に変革したのがルアンポー・ルーシー・リン・ダム(「黒い猿の隠者」の意)と呼ばれる僧侶であった。彼は森の行者(ルーシー)として厳しい瞑行を積み人々から深く尊敬された。彼の指導の下、寺院は大拡張され今に見る金色のパゴダ「プラサート・トン(黄金の城)」や鏡張りの礼拝堂が建設されたのである。そして彼の死後その遺体は驚くべきことに腐敗することなくガラスケースの中に金色の袈裟をまとい深い瞑想に入ったような姿で安置されることになった。
この「不朽の遺体」はタイにおいても極めて稀な現象であり聖性と修行の成就の証として遠方からも多くの信仰を集めている。ワット・タースンを訪れると鏡の輝きに目を奪われる観光客の傍らで本地の人々がルアンポーの遺体の前でひたすら祈りを捧げる姿を目にする。
ここではSNS時代の「映え」と深遠な宗教的「信仰」が同じ空間で奇妙に共存し交錯しているのである。
この二つの寺院は、時に「ブラフマンヤン寺院」という名称や巨大な金剛菩薩像の存在を巡る情報の混乱の中で混同されることがある。それはある意味で自然なことかもしれない。両者とも「鏡」や「ガラス」という素材を用いて光と空間を演出し現実を超越した神聖な領域を構築しようとする点で建築的コンセプトを共有しているように見えるからだ。しかし、その実態は対照的である。ワット・プッタ・プロムマヤンが「水と静寂の孤島」ならば、ワット・タースンは「光と信仰の一大コンテンツ」である。前者が内省と隔離を促すとすれば後者は集団的な畏敬と驚嘆を呼び起こす。
この違いは、それぞれを創り支えてきた共同体のあり方や、そこに込められた宗教的表現の違いに根差している。
これらの寺院を訪れることはタイという国が「微笑みの国」という観光イメージでくくられるものではなく地域ごとに根付いた多様で深い精神的土壌を持っていることを実感する旅となる。チャチョエンサオの川面にきらめく孤島の寺院と、ウタイターニーの平野に聳える光の城。どちらも標準的な観光コースからは少し外れているからこそ、訪れる者により強い印象と、なぜか懐かしいような安らぎ、あるいは衝撃を与えてくれる。
寺院探訪の楽しみは、そうした予期せぬ発見と建物の背後に息づく人々の物語に触れる瞬間にある。次にタイを訪れる際にはバンコクの大寺院を巡るだけでなく少し足を伸ばして、こうした「もう一つのタイ」の顔を探し求めてみてはいかがだろうか。
そこには写真に収まりきらない、生きた信仰と文化の奥行きが横たわっている。
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