「自由への道標となれ」黒いモーセ。ハリエット・タブマンの不滅の灯火

深い南部の闇が人間の魂すらも飲み込む時代があった。

綿花畑の匂いは甘く、その甘美さの裏側で無数の人生が鎖の音と共に刻まれていた。

1820年頃、メリーランド州のプランテーションでハリエット・タブマンは奴隷として誕生した。

彼女の最初の記憶は、おそらくは鞭の音と土の冷たさだったに違いない。

五歳でメイドとして働かされ十三歳の時には鉄製の分銅が頭部を直撃し生涯消えることない発作と突然の睡眠発作に苛まれることになる。

しかし、この傷こそが彼女を単なる逃亡者から「黒いモーセ」へと変容させる運命の契機となった。

彼女の身体は奴隷であっても精神は決して隷属することはなかった。

1849年、奴隷としての人生に終止符を打つ決意をした時、彼女は夜空を見上げて呟いたという。

「自由か、さもなくば死を」

この言葉には決意表明以上の人間の存在そのものに関する深遠な宣言が込められていた。

自由であることと死を選ぶことの間に彼女は奴隷であるという生を見出さなかったのだ。

160キロに及ぶ孤独な逃亡行は星を羅針盤とし恐怖を燃料とした旅だった。

藪を漕ぎ、川を渡り、自分を狩る者たちの息遣いを感じながら、それでも前進し続けた。

そしてついにペンシルベニア州に足を踏み入れた時、彼女は初めて「自分自身の主人」として呼吸をした。

しかし真の英雄とは自らの安全地帯から踏み出さない者を指すのではない。

タブマンは自由を得て満足することなく自らが脱出してきた地獄へと再び足を踏み入れることを選んだ。

彼女の偉大さは、まさにこの選択に凝縮されている。

安全と自由を手にしながら、それを危険に晒すことを厭わなかった。

最初の救出作戦は家族のために計画された。

彼女は自らの価値観として家族の絆こそが人間の尊厳の根幹であることを理解していた。

奴隷制が破壊しようとしたもの、それは肉体の自由だけでなく愛する者と結ばれる権利、家族という繋がりそのものだった。

地下鉄道の「車掌」としての活動は物理的な移動援助を超えていた。

彼女は逃亡者たちの心のよりどころとなり恐怖に震える魂を励まし続けた。

ある時は赤ん坊に睡眠薬を与えて泣き声を封じ、ある時は銃を携えて「後戻りする者はいない」と宣言した。

これは冷酷さではなく究極の責任感の現れだった。

失敗が即ち死を意味する状況下で彼女は完璧な指揮官であり続けなければならなかった。

その頭部の古傷がもたらす発作さえも彼女は「神の声」として解釈し危険を感知する第六感として逆用した。

弱さを強さに変えるこの能力こそ人間の精神の驚くべき適応力を如実に示している。

南北戦争が勃発するとタブマンはその役割をさらに拡大させた。

看護師、料理人、そしてついには北軍初の女性スパイとして文字通り戦場を駆け巡った。

1863年6月のコンバヒー川襲撃作戦では黒人部隊を率いて単独で軍事作戦を指揮し750人もの奴隷を一度に解放するという離れ業を成し遂げた。

自由への道標となれ。

ハリエット・タブマンの不滅の灯火武器ではなく知識と勇氣と戦略をもってして圧倒的な数の人間を解放したのだ。

戦後、彼女が得たものは名声ではなく貧困だった。

政府は長年にわたり彼女への年金支給を渋り彼女は自らも困窮しながらもニューヨーク州オーバーンの自宅を開放し高齢者や病める者たちの避難所とした。

ここに彼女の真の偉大さが示されている。

彼女は自由を「自分だけのもの」とは考えず、常に「他者と分かち合うもの」として捉えていた。

自己の利益ではなく共同体の利益を優先するという人類が古来より求めてきた最高の倫理を彼女は生涯を通じて体現したのである。

1913年3月10日、肺炎のため93年の生涯を閉じた時、彼女の最期の言葉は「そちらへ行く準備ができている」というものだった。

この言葉は死の受容を超えた深い意味を帯びている。

彼女は常に「そちら」より良き世界、より光り輝く未来へと向かう準備を整えていたのだ。

今日、彼女の物語が人類に問いかけるものは自分たち自身の「自由」への覚悟である。

タブマンは物理的な鎖だけでなく自らに課す精神的な鎖、無関心、あきらめ、利己主義をも断ち切るよう促している。

彼女の人生は、一個人の力が歴史の流れを変え得ることを証明し圧倒的な困難に直面しても人間の精神は輝きを失わないことを示した。

闇が深ければ深いほど、一点の灯火は輝きを増す。

ハリエット・タブマンという名は人類の良心が暗闇の中で放つ不滅の光として時代を超えて輝き続けるのである。

「フリーダム・フラタニティ平等」人類の覚醒への道程

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