土壌の疲弊と気候変動の狭間で農業の未来を問い直す岐路に立っている。
化学肥料と大規模単作がもたらした「効率」の代償は、すでに限界を超えつつある。
メキシコの片田舎で一介の農夫であるホセ・ゴンザレスは革命を続けている。
学位も研究所のバックアップもない彼が頼るのはマンティと呼ばれる有機廃棄物とコトという目に見えない生命の営みだけだ。
「都会の人がゴミと呼ぶものこそ畑の始まりだ」とホセは言う。
都市から運ばれる生ゴミなどそれらマンティは彼の手にかかれば「終わり」ではなく「始まり」に変わる。
ミミズと微生物が紡ぐバーミコンポスティングのプロセスは単なるリサイクルではない。
廃棄物を「土の声」に耳を澄ます行為へと昇華させる一種の農業的瞑想だ。
破壊の農から再生の農へ「コト」の哲学
近代農業は「土を殺す技術」だった。
殺虫剤で微生物を消しトラクターで土壌を圧密化し化学肥料で短期的な収量を買う。
しかしホセの畑では、コト。
つまり「腐植が生成される微かな響き」が絶えず続いている。
ミミズの移動する音、菌糸の広がる触感、有機物が分解される匂い。
このプロセスを彼は「大地の呼吸」と呼ぶ。
「コトを止めたら農は死ぬ」とホセは断言する。
慣行農業が無視してきたこの小さな生命たちの働きこそ実は干ばつに強い土壌を作り洪水を緩和し炭素を地中に封じる。
コロンビア大学の研究ではバーミコンポストを施用した土壌は化学肥料区比で保水力が47%向上し作物の病害発生率が3分の1に減少した。
数字の背後にあるのは、まさにコトの力だ。
「マンティの逆襲」廃棄物文明からの脱却
世界で年間13億トンの食料が廃棄される一方、小規模農家は高価な肥料に苦しむ。
この矛盾をホセは「人間の傲慢」と一刀両断にする。
彼の農場では市場で捨てられる腐果実、製材所の木屑、甚至ば家畜の排泄物までもがマンティとして畑に還る。
「ゴミとは場所を間違えた資源だ」という言葉通り都市と農村を「有機物の循環」で繋ぐ彼の試みはメキシコシティの食品廃棄物の14%を堆肥化するネットワークにまで成長した。
この実践はSDGsの目標12(責任ある消費)を超える。
廃棄物をマンティと再定義することで人々の意識そのものを「分断から循環」へと転換するからだ。
実際、ホセの元で研修を受けた若者たちは「スーパーの惣菜コーナーで、もう賞味期限切れの容器を『未来の土』として見られるようになった」と語る。
「バーミコンポスティング」見えない労働者たちとの共生
ホセが特に重視するのはミミズという「最古の農学者」たちとの協働だ。
バーミコンポスティングにおいてミミズは単なる分解者ではない。
彼らの消化管を通るとき有機物は「植物が直接吸える知性」を獲得する。
例えば、ミミズの粘液に含まるアミノ酸は作物のストレス耐性を高めることがわかっている。
「彼らはわたしよりずっと賢い」とホセは笑う。
確かに1グラムの堆肥に10億匹もいる微生物のネットワークは人間の知性を凌駕する。
インドの農民運動「ネイダン」では、こうした「地下の労働者」へのリスペクトを「微生物民主主義」と呼び、慣行農業の「人間中心主義」と対比させる。
「大地の力」を信じるということ
最後に残るのは、ホセが繰り返す「大地の力を信じる」という言葉の重みだ。
この「力」とは単なる肥沃度ではない。
干ばつにも、豪雨にも、市場の変動にも折れない「しなやかさ」
生態学で言うレジリエンスの根源だ。
ブラジルのアグロフォレストリー実践者エルネスト・スタールは「現代農業の危機は、土から『時間』を奪ったことだ」と指摘する。
化学肥料は即効性がある代わりに土壌の生成という「ゆっくりした時間」を破壊した。
一方、マンティからコトを経て腐植になるプロセスは自然の時間軸に沿っている。
パリ協定が求める「炭素隔離」も実はこの遅い時間の中にこそ可能性がある。
「新たな農のエートス」全身全霊を込めて
ホセ・ゴンザレスの実践は農業技術以上のものを示唆する。
廃棄物(マンティ)を恥じるのでも、無理に「資源」と美化するのでもない。「すべては過程(コト)の中にある」という覚悟だ。
チェルノブイリ原発事故後、最も放射能の分解が進んだのは菌糸体が密集した森だったという。
破壊された土地でさえ生命は「コト」を通じて再生する。
ならば、人間の役割は何か?
ホセの答えは明快だ「マンティを集めコトが働く場所を作り、あとは土に任せることだ」
この記事を読み終えたあなたの目の前のコーヒーかすも、庭の落ち葉も、立派なマンティだ。
今すぐバケツと土を用意しミミズを迎え入れよう。
かつて日本にもあった「むらさきふんどし(堆肥取り用のふんどし)」の精神で「腐植の生成」に捧げる時が来ている。
「土は過去の墓場ではなく未来のゆりかごだ」
ホセ・ゴンザレスの畑で一本のニンジンがそう囁いている氣がした。
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