彼らの胸に灯った炎は単なる義憤を超えた人間としての根源的な情念であった。
徳川の旗が降ろされ明治という時代の幕が上がったその瞬間、無数の亡骸は歴史の闇へと葬り去られようとしていた。
かつて主君に忠誠を誓い武士としての誇りを持って戦った者たちでさえ今や「賊軍」の烙印を押され死体は野ざらしのままに放置される有様だった。
新政府の権威が磐石のものとなる中、誰一人として声を上げる者はいない。
目を背け、口を閉ざすことが生き延びるための知恵だった時代である。
しかし、江戸出身の侠客、柳川熊吉や実行寺第十六世住職の心には世俗の利害を超えた確固たる信念が息づいていた。
彼らが見たのは官軍か賊軍かといった区別ではなく等しく尊い人間の命そのものであった。
政治的な正邪や勝者の論理など所詮は時の権力者が決めるものに過ぎない。
彼らが信じたのは、もっと普遍的な人間同士の絆であり死者への畏敬の念だった。
箱館の大地に転がる796体の遺体を前に彼らは決意した。
死んだら皆仏。このまま放置はできない。
たとえそれが「賊」と呼ばれる者たちであっても人間として看過できることではないと。
その決断は想像を絶する危険を伴うものだったであろう。
周囲からは冷笑され新政府の役人に見つかれば重罰は免れない。
場合によっては賊徒に加担したとして同じ運命を辿りかねない。
それでも彼らは夜陰に紛れて遺体を集め土を掘り起こし一人一人丁寧に葬っていった。
ただ人間として最低限の弔いを施すだけである。
この行為は当時の価値観からすれば明らかな「反逆」だった。
だが彼らにとって、これは権力への抵抗ではなく人間として当然の行いだった。
やがて彼らの行動は単なる埋葬を超えた次元へと発展していく。
ただ土に埋めるだけでは、この地で散った者たちの魂は浮かばれない。
彼らの存在そのものが歴史から抹殺されてしまう。
そう考えた彼らは密かに記録を残し、いつか正式な慰霊碑を建立することを誓い合った。
この誓いが後に碧血碑として結実するまでには、さらに長い歳月と並々ならぬ苦労が必要だった。
碑文に刻まれた「碧血」という言葉には義に殉じた者の血は三年経てば碧(青)色になるとする中国の故事に由来する深い意味が込められている。
それは単なる慰霊の念を超え歴史の敗者に対する一種のレジスタンスであり権力の暴力に対する抗議でもあった。
この物語の真の価値は、その後の歴史的展開にある。
明治政府が安定するにつれ、かつての「賊軍」も次第に再評価されるようになる。
西南戦争で西郷隆盛が「賊」の汚名を着せられながらも、やがて国民的英雄として称えられるように歴史の見方は時の流れとともに変転する。
碧血碑は、そうした歴史の不条理を超えて人間の尊厳を守り抜いた英雄たちの証言として今も蝦夷の地 箱館に立ち続けている。
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