資本主義は、決して「貪欲の肯定」などという矮小な思想ではない。
それは、一人ひとりの自由な挑戦が結果として社会全体の繁栄を生むという、人類が編み出した最も洗練された協働のシステムだ。
このシステムの真価は、ただ利益を追求するだけでは発揮されない。
その根底には、他者への配慮と社会への責任という人間らしい倫理が息づいていなければならない。
私たちはしばしば、資本主義を「強者の論理」と誤解する。
だが、真の資本主義の精神とは自らの成功を周囲と分かち合うことで、より強固な信頼と持続可能な成長を築くことにある。
アダム・スミスが『国富論』で説いた「見えざる手」は、決して無秩序な利己主義を奨励したものではない。
むしろ、個人が道徳的な判断を持ち社会の一員として行動することを前提としていた。
彼は『道徳感情論』で人間の本質を「共感」に求め「他者の目を通して自分を見る」ことの重要性を説いた。
現代の世界を見渡せば、資本主義の最も成熟した社会では、人々は競争しながらも助け合う。
アメリカでは、年間5500億ドル以上が慈善活動に寄付され人々は見知らぬ他人の医療費をクラウドファンディングで支援する。
日本の町工場は、競合他社と技術を共有し共に産業を発展させてきた。
北欧諸国は高い税金を受け入れながら、それが自分たちの生活の質を高めると信じている。
これらはすべて資本主義が「孤立した利己心」ではなく「相互利益の追求」によって機能する証だ。
もし資本主義が単なる弱肉強食のシステムなら、なぜ私たちは困窮する者を助け災害時に支援の手を差し伸べ未来の世代のために環境を守ろうとするのか?
それは、人間が本質的に「利己的でありながら同時に利他的でもある」という矛盾した性質を持っているからだ。
資本主義は、この矛盾を乗り越えるための最良の枠組みなのである。
このシステムを堕落させるのは、制度そのものではなく私たちの思考の貧しさだ。
「貪欲は善」という短絡的なスローガンに飛びつき他者を踏み台にする行為を正当化するとき資本主義はその輝きを失う。
本当の豊かさとは富の蓄積ではなく、どれだけ多くの人と価値を共有できるかにある。
今、私たちに必要なのは、資本主義の「アップデート」である。
競争を全否定せず、しかし、その果てに待つべきは「勝者だけの世界」ではなく「共に繁栄できる未来」でなければならない。
自分を高め同時に他者を尊重する。
そのバランスこそが人類が次の世紀へと進むための、唯一の持続可能な道なのである。
理解出来なければ資本主義は終わる。
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