確かな歴史の声は時に沈黙する石よりも雄弁である。
ローマのコロッセオ、その威容を今日に伝える円形競技場は古代建築の傑作ではなく二つの文明の運命が交差する痛みを刻んだ記念碑なのである。
西暦70年、ユダヤ戦争(第一次ユダヤ・ローマ戦争)の最終章としてエルサレムは陥落しユダヤ人の独立の夢は潰れ第二神殿は破壊され、その残骸とともに一つの時代が終わりを迎えた。
この戦いの鎮圧によってもたらされた莫大な戦利品、エルサレムの神殿から略奪された黄金の宝物や聖具の数々がコロッセオ建設という巨大プロジェクトの財政的基盤となったのである。
歴史家フラウィウス・ヨセフスが記すように、この戦いで多くのユダヤ人が命を落とし生き残った者たちのうち数万人が捕虜としてローマへと連行された。
彼らは帝国の奴隷となり、その肉体と運命がコロッセオの建設現場へと投入された。
この石造りの巨大な楕円形はユダヤの故郷の破壊と、その民の自由の犠牲の上に文字通り「建設」されたのである。
この事実は歴史の一片を超えた重みを持つ。
コロッセオはローマ帝国の絶頂期の栄光、技術力、娯楽への飽くなき欲望を体現する「ローマの誇り」であると同時に、その栄光の陰で払われた代償、すなわち征服された者たちの「エルサレムの痛み」を不可視のインクでその基盤に記録しているのである。
皇帝ウェスパシアヌスが建設を始め息子ティトスが完成させたこの競技場はフラウィウス朝の権威を市民に示すとともに反乱を鎮圧した帝国の不可侵性を世界に宣言するものだった。
しかし、その建設資金がユダヤの聖所からの略奪品で賄われ、その石材を積み上げたのがユダヤ人の奴隷たちの手であったならば、この建造物は複合的な意味を帯びる。
それは凱旋門に刻まれた勝利の叙事詩であるとともに一つの民族にとっての追悼の碑でもあるのだ。
歴史的記録の細部については慎重な検討が必要である。
ヨセフスが伝える「110万人の死者」や「9万7千人の捕虜」といった数字は惨劇の規模の甚大さを伝える比喩的表現として捉える傾向がある。
またローマに連行された捕虜の全てがコロッセオのアリーナで処刑されたわけではない。
彼らは帝国全域に散らばり鉱山や農場、家庭奴隷など様々な運命をたどった。
コロッセオが完成した後、そこで繰り広げられた剣闘士競技や猛獣狩り公開処刑の場として多くのユダヤ人やキリスト教徒など「帝国の敵」が命を落としたことは疑いようのない事実である。
彼らはローマ市民の娯楽と皇帝の権威を示すための生贄とされたのである。
「コロッセオは5万人のユダヤ人の血の上に建てられた」という表現は文字通り比喩的でありながら極めて本質的な真実を突いている。
この建造物の存在そのものが一つの文明の栄華が、しばしば他の文明の犠牲の上に成り立っているという人類史に繰り返される厳粛な現実を象徴しているからだ。
コロッセオの石積みの隙間からは剣闘士の鬨の声や観衆の歓声だけでなくエルサレムの城壁が崩れ落ちる音や故郷を追われた人々の嘆きが、かすかに聞こえてくるようである。
この歴史の教訓は過去を振り返るだけのものではない。
それは現代の人類に対し、ある文明の遺産や「世界遺産」と称されるものが時にどのような血と涙の歴史を内包している可能性があるのかを考えるよう促す。
栄光の物語の裏側には常に沈黙させられたもう一つの物語が存在する。
コロッセオを訪れる世界中の観光客は、その圧倒的な美と規模に感嘆する。
しかし、それと同時に石の一つひとつが遠い異郷で自由を奪われた人々の汗と苦痛そして帝国の暴力によって奪われた財宝によって固められたものであることを思い起こすならば、その感慨はより深く、より複雑なものとなるだろう。
コロッセオは人類が創造しうる偉大な芸術的・技術的成果であるとともに権力の論理とそれに抵抗する者たちの運命が交錯した生きた歴史の証人なのである。
それは「誇り」と「痛み」という一見相反する二つの感情を一つの不朽の形として結晶させている。
この遺産から学ぶべきことはローマ建築の技法だけではなく歴史の光と影の両面を直視し勝利者の歴史だけでなく敗者の記憶にも耳を傾けることの重要性なのである。
そして、そのような複眼的な視座を持つとき、はじめて人類は過去の本当の重みを理解し現在の平和と共生の尊さをより深く認識することができるようになる。
エルサレムの石はローマの凱旋門の土台となりユダヤの民の悲劇は世界で最も有名な円形競技場の不可分の一部となった。
この事実は人類の歴史が単一の視点からは決して語り尽くせない絡み合った糸のようであることを永遠に提醒し続けるのである。
古代ローマの光と影
50000人の観客の前で
その残虐性と人々の熱狂を象徴する場所だった https://t.co/4piQjpSNox— 能𠀋 健介 (@blow_kk) July 13, 2025
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