「スフィンクスを掘り起こした王」伝説とプロパガンダの古代エジプト政治術

古代エジプト第18王朝、黄金時代の只中にあってトトメス4世の治世は比較的短いものであった。

この若きファラオの存在は歴史の狭間にある重要なる架け橋として、あるいは神話と現実が交錯する象徴的な物語の主として今日までサンゼンと輝き続けている。

彼は武勇に秀でたアメンホテップ2世の息子であり、やがてエジプトを絶頂の繁栄に導くアメンホテップ3世の父である。

この血脈の中間に位置することでトトメス4世は一つの時代を次の時代へと繋ぐ役割を果たしたのである。

トトメス4世の名を現代にまで知らしめる最大の功績は何と言ってもギザの大スフィンクスの前足の間に刻まれた「夢の碑文」との深い関わりにある。

この碑文が語る物語は伝説を超え王権の正当性を神の意思に求める高度な政治的プロパガンダとして、また古代エジプト人の世界観を如実に示すものとして研究者たちの深い考察を誘ってやまない。

まだ王子であったトトメスが狩りの旅の途中に日差しを避けてスフィンクスが砂に埋もれる影で休憩を取っていると、夢の中にスフィンクスの神格化であるホルエムアケト・ケプリ・ラー・アトゥムが現れる。

神は青年に告げる。

もし自分を窒息せしめるこの砂を取り除いてくれるならば上下エジプトの王とするであろう、と。

この神託はトトメス4世が必ずしも最初から第一王位継承者ではなかったことを示唆するものと解釈される。

当時の王位継承の複雑な事情を背景に自らの即位を神の恩寵と選択にゆだねるこの物語は臣民たちに対する強力なメッセージとなったに違いない。

約束を果たし長年の砂塵に埋もれていたスフィンクスの体を発掘させて保存作業を施し、その功績と夢の顛末を花崗岩の碑文として刻みつけた。

これは王権の神聖不可侵性を宣言する政治的宣言文書なのである。

学者たちはこの碑文を王権の正統性を確立するための意図的で巧妙な装置と見なしている。

スフィンクスという太古の巨像の権威を借りることで自らの統治に絶対的な正当性を与えることに成功したのである。

トトメス4世の治世は約十年と短かったが、その外交政策は注目に値する。

シリアやヌビアにおける軍事的活動の記録は残るものの彼がより重視したのは強硬な軍事圧力ではなく巧みな外交戦略を通じてエジプトの影響力を維持拡大することであった。

当時の国際情勢、特にミタンニ王国との複雑な関係においてトトメス4世は婚姻外交を重要な手段として活用した。

ミタンニからの王女を妃として迎え入れたことは政略結婚を超え大国間の緊張を緩和し、和平をもたらす積極的な外交の一環であった。

この方針は息子アメンホテップ3世の時代にさらに発展しエジプトに空前の繁栄と安定をもたらす基盤の一つとなった。

彼の外交努力は軍事力に偏重した前時代的な拡大政策から、より洗練された国際関係の構築へと移行する過渡期的な役割を果たしたのである。

しかし、この若き王の治世は突然の幕切れを迎える。

紀元前1391年頃、トトメス4世は三十歳前後という若さで世を去った。

1881年、デイル・エル・バハリの隠れ家(DB320)で発見された彼のミイラは古代の神官たちが墓荒らしの脅威から歴代ファラオの尊厳を守るために執拗な努力を重ねた結果である。

この共同墓地では彼のミイラはラメシズ家の偉大な王たちや他の第18王朝のファラオたちとともに何世紀にもわたって眠りについていた。

発見時の報告書には彼のミイラが非常に良好な状態で当時の最高の技術で作られた華やかな棺に収められていたことが記録されている。

現代の医学的検査、とりわけX線分析は彼の若々しい体つきと早期の死についての生物学的証拠を提供したが死因を特定する決定的な証拠は見つかっていない。

病氣の明確な痕跡がないことから事故や不慮の出来事、あるいは当時としては対処不可能な感染症など様々な推測を呼んでいる。

そして2021年4月3日、トトメス4世のミイラは再び歴史の表舞台に登場した。

「ファラオの黄金パレード」と銘打たれたこの比類なきイベントでは22体の王族のミイラがカイロの街を厳戒態勢の中、新たな永住の地であるエジプト国立文明博物館(NMEC)へと丁重に移送された。

これは物理的な移動ではなく古代の支配者たちに対する国家的な敬意の表明であり彼らの遺骸を最先端の環境で未来永劫守り伝えていくというエジプトの強い意志を世界に示す象徴的な行為であった。

現在、トトメス4世は同博物館の「王のミイラ室」で一般公開されており訪問者は古代のファラオの直系の子孫という生々しい現実を目の当たりにすることができる。

トトメス4世の歴史的意義は、その短い治世の具体的な事績そのものよりも、むしろ彼が体現する「過渡期」という概念にある。

軍事征服によって帝国の基盤を固めた偉大な祖先たちと、その遺産を享受して比類なき文化的・経済的繁栄を築いた息子との間を繋ぐ存在であった。

さらに「夢の碑文」はファラオの権威の源泉が世襲や武力ではなく神々との個人的かつ特別な契約にあるというイデオロギーを強化した。

これは古代エジプトの王権理論における重要な発展段階を示している。

トトメス4世は歴史の表舞台では短い期間しか登場しないかもしれないが神話と政治、過去と未来の交差点に立つ人物として学者たちの研究意欲を掻き立ててやまない極めて興味深く重要なファラオなのである。

黄金は目覚めの扉だった。ツタンカーメンが遺した9000万ドルの真実

黒い肌のファラオは眠らない。セティ1世のミイラが伝える『死の超越』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です