雲海に浮かぶ黄金宮殿—老子が函谷関の先に求めた老君山2000年の真実

 

序章 雲海に浮かぶ金色の宮殿、その正体を知る旅

雪に覆われた峰の上、雲海の中から金色の楼閣が姿を現す。動画や写真で老君山(ろうくんざん)を見た人なら誰もが何故こんな場所にあるのかと疑問に思うはずです。

答えは2千年以上にわたる歴史の中にありました。この山は、春秋の哲人・老子の帰隠の地とされ北魏の時代に廟が建てられ唐の皇帝によって名付けられ明の皇帝から天下名山と勅封された、中国でも稀有な皇帝に愛された山なのです。

この記事では、伝説と正史を織り交ぜながら老君山の歴史を時代物語としてたどっていきます。

第一話 紫氣東来—老子、函谷関を出る(春秋〜戦国)

物語は、春秋末期の周の都・洛陽から始まります。

周王室の「守蔵室之史」国家図書館の長だった李耳(老子)は、博識の名人で孔子すら学問を請うたと史記に記されています。しかし周の政治は腐敗の一途をたどり老いた老子はある決断をします。ここを去ると。

青牛に乗って都を西へ向かった老子。やがて彼は函谷関に差し掛かりますが、ここで有名な逸話が待っていました。関の長・尹喜は、遥か東の空から紫の氣が昇るのを見て聖人がやって来ると悟り関を出ようとした老子を引き留めて教えを請います。老子はその求めに応え、わずか五千字の書を残しました。それが今も世界で読み続けられる道徳経です。

そして尹喜に別れを告げた老子は、青牛にまたがってどこへ向かったのか。史書はここで黙ってしまいます。正史が語らない老子の最後を人々の想像が埋めました。その行き先の最有力候補となったのが、この物語の舞台・景室山(けいしつざん)後の老君山です。

第二話 老子、景室山に帰隠する(伝説)

老子の伝説は伏牛山脈の奥深くで続きます。

老子が函谷関から青牛に乗って進み洛陽の南、欒川の地に差し掛かったとき目の前に現れたのが八百里(約400km)の伏牛山の美景が一室に集まったような山それが景室山の名の由来とされます。奇峰がそそり立ち雲烟がたなびき谷から清流が流れ出す。老子はここを終老の地と決め、山麓の村人の助けを借りて茅屋を結び修行の日々を送ったというのです。

伝説の中の老子は百歳を超えてなお鶴髪童顔、虎豹を友とし、仙鹤と青牛を伴に岩場や渓流のほとりで氣功を修めたとされます。老子の神格化は後の道教によってさらに加速していきます。東漢の張道陵が五斗米道を創始し老子を教祖と仰いだことで老子は神々の帝・太上老君へと昇華。やがて全国各地に太上老君が修行したとされる山々—老君山が生まれていきました。

実は中国には少なくとも14か所の老君山が存在します。しかし、老子の生地・函谷関・洛陽という彼の生涯の舞台すべてに最も近い位置にあるのが欒川の老君山。老子ゆかりの山として最も説得力を持つ理由は、この地の利にあったのです。

第三話 北魏、山に廟を建つ(南北朝・386〜534年)

伝説から実史へ。時は飛んで約800年後の南北朝時代です。

北方を支配した鮮卑族の王朝・北魏は道教を保護する政策をとっていました。老子の帰隠の地と信じられた景室に北魏の時代に老君廟が建立されたのです。清の盧氏県志には北魏のとき記念として山上に老君廟を建てたと記されています。

この時期に始まったとされるのが現在も山頂エリアの中心にある太清観の歴史です。鉄の椽(まるた)と鉄の瓦で葺かれた固い造りは、後に鉄頂の異名として受け継がれます。

ここから老君山は、豫(河南)、陝(陝西)、皖(安徽)、鄂(湖北)の4省にまたがる巡礼地として千年以上にわたり香火を保つことになります。山麓から山頂まで太清宮、十方院、霊官殿、三清殿など歴代の寺院が16か所に及んだことも記録に残っています。

第四話 唐の皇帝、山に名を与える(618〜907年)

そして老君山の歴史を大きく動かした時代、唐がやってきます。

唐の建国者・李淵にとって道教の教祖・老子(李耳)は同じ李の姓を持つ先祖でした。李氏の門閥を高め統治の正統性を神格化するために唐の皇室は道教を国教のごとく崇拝します。老子は太上玄元皇帝に追尊され、道徳経は玄宗皇帝自ら注釈を施されるほどの隆盛ぶりでした。

この流れの中で貞観十一年(637年)第二代皇帝・太宗李世民は名臣尉遅敬徳を監工として景室山の鉄頂老君廟の重修を命じ、自らの筆で老君山と名付けました。これが景室山から老君山へと名が変わった決定的な瞬間です。同時に天下名山の額も与えられたと伝えられます。

唐の皇族と老君山の結びつきは深く崇玄館と呼ばれる官立の道教学館が設けられ玄宗の書風を用いた門額が掲げられたともいいます。当時、仏教と道教の勢力争いが激しかった唐で老君山は道教側の重要なシンボルとして位置づけられていたのです。

第五話 明、再び天下に名を轟かす(1368〜1644年)

繁栄は戦乱で何度も途絶えましたが老君山の名声を決定的なものにしたのが明代です。

万暦三十一年(1603年)第十三代皇帝・神宗朱翊鈞は老子の修道養生の道に深く傾倒し帑金(国費)を発して殿閣を建立し老君山を天下名山と詔して勅封しました。勅建された金頂の道観群は鉄椽鉄瓦、金碧輝煌(鉄の梁・鉄の瓦、金碧が輝く)と賞賛され武當山と並び称されるまでになります。

「南有武当金頂、北有老君鉄頂」中国の道教建築における双璧。武当山の金頂に対し老君山は鉄頂と呼ばれたのです。

この時期に鋳造された大鐘は現在も山頂の老君廟に残っています。当時の欒川を治めた盧氏県の知事・高出は登景室山賦に境に山あり、巍峨として天に際し、俗に老子の居と伝う。すなわち老君と名づくと記し山の威容をうたっています。

さらに老君山には、もうひとつの切ない伝説が残ります。明が滅亡した1644年、北京に攻め込まれた李自成の軍に連行された16歳の皇太子・朱慈烺は山海関の戦いに敗れたのち欒川へ潜り老君山で道装に身をやつし30年以上を生きたというのです。追慕する遺臣たちによってひそかに皇帝として尊ばれ51歳で没したと伝えられます。山の追梦谷や太子洞の名は、この逸話に由来するとされています。

第六話 信仰の山、灰より甦る(清〜近代)

清代以降、戦乱や荒廃で山上の寺院は幾度も焼失・再建を繰り返しました。山頂に残るのは小さな3間の廟のみ、という寂しい状態も長く続きました。それでも麓の村々では四月初八(旧暦4月8日)の老君廟会が継承され老子の帰隠を記念するこの祭りは今も河南省の無形文化遺産として残っています。

転機は1983年。地元の有志たちの働きかけで廟の再建が始められ1987年に落成しました。1994年に河南省級風景名勝区に1997年に国家級自然保護区に指定。そして2012年ついに国家5A級観光景区中国の観光格付けで最高ランクに認定されたのです。

また、山麓には2014年に世界最大の老子青銅像が建立されギネスにも認定されました。青牛にまたがって東を見据える像の姿は、まさにこの山の顔となっています。

終章 金色の金頂、新たなる伝説のはじまり

さて、動画で映るあの金色の寺院群はいつの時代のものか答えは現代です。

現在の山頂を飾る金頂道観群(老君廟・五母金殿・亮宝台・玉皇頂・道徳府など)は2004年以降に明清の宮殿建築様式を再現して再建されたもので中でも金殿・亮宝台・玉皇頂の3棟は金色の屋根を纏います。道徳府には明の万暦帝が頒布した道蔵経を収めた歴史を持ち、五母金殿は女媧が人を作った場所と伝わる地に建てられた宮殿式建築です。

19億年前の造山運動が造り上げた地質の記憶、老子の帰隠伝説、皇帝たちの寵愛、そして現代の再建。層のように重なった歴史が雪と雲海の上で金色に輝く。老君山の絶景は風景であると同時に中国の思想と信仰の2千年そのものなのです。

次にその姿を目にしたとき楼閣の一棟ひと棟に物語が宿っていることを思い出していただけると幸いです。


【年表】老君山の歴史まとめ

時代 出来事
春秋末期(伝) 老子が函谷関で道徳経を著し、景室山へ帰隠する
東漢 張道陵が道教を創始。老子が太上老君として神格化される
北魏(386〜534) 山上に老君廟を建立。太清観の歴史が始まる
唐・貞観11年(637) 太宗李世民が尉遅敬徳に老君廟重修を命じ老君山と命名
唐・貞観21年(647) 老子が太上玄元皇帝に追尊される
明・万暦31年(1603) 神宗が帑金を発して建殿。天下名山と勅封
1644年(伝説) 明の皇太子・朱慈烺が老君山に潜伏し、道装で過ごす
1983〜87年 再建運動により廟が復興
1997年 国家級自然保護区に指定
2012年 国家5A級観光景区に認定
2014年 世界最大の老子青銅像(老子文化苑)がギネス認定
2004年〜 金頂道観群が明清宮殿様式で再建され、現在の金色の姿に

FAQ 老君山の歴史についてよくある質問

なぜ中国に「老君山」が14か所以上もあるの?

老子の最後の行き先が史書に記されていないため、各地ここが本当の帰隠地と伝承してきたためです。欒川の老君山は、老子の生地・函谷関・洛陽すべてに最も近いことから最有力候補とされています。

金頂の金色の寺院はいつ建てられたの?

見た目は古代ですが現在の金頂道観群は2004年以降に明清宮殿建築様式で再建されたものです。ただしその場所への信仰は北魏の老君廟にさかのぼり、唐・明の両王朝に皇室によって栄えた地です。

南有武当金頂、北有老君鉄頂とは?

中国の道教建築の双璧を意味することわざです。湖北省の武當山金頂は銅で覆われ金頂、老君山の太清観は鉄の梁と瓦で造られた鉄頂と呼ばれ明代には両者が並び称されました。

古代中国「ブレード・オブ・ジ・エンシェント」生き続ける芸術

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です