水月観音、あるいは観音菩薩坐像として知られるその像は美術史の資料においては、しばしば「ネルソン・アトキンスの観音」という固有名詞で呼ばれることがある。ミズーリ州カンザスシティこのアメリカ中西部の都市に位置するネルソン・アトキンス美術館の「中国廟」と通称される部屋は、もはや一つの宇宙であり時間ごとパッケージングされた結晶体である。部屋に足を踏み入れた瞬間、空氣の密度が変わる。
床から天井までの高さ壁画のスケールそして中央で悠然と座す木彫の像が放つ存在感が訪問者の呼吸のリズムを無意識のうちに奪う。そこには騒がしい説明は不要だ。
ただ、そこにある。それだけで十分なのである。
この像が制作されたのは中国の遼から金にかけての時代、11世紀から12世紀頃であると推定されている。木彫であることがまず驚異だ。木は経年とともに収縮し、割れ、虫に蝕まれる。それでもなお、これだけの姿を保っているという事実が、どれほどの敬意をもってこの像が扱われてきたかを物語っている。素材はおそらくポプラ材かあるいはそれに類するものだと言われているが重要なのは素材そのものではなく彫り手の刃が木目をどのように生かし布の質感、柔らかさ、そして指の一本一本に宿る氣配を表現したかである。観音は「輪王坐」と呼ばれる片膝を立てた極めてリラックスしたポーズをとっている。この姿勢はイコノロジーの観点からすれば王族のくつろぎの座り方に由来するとされ観音が既に悟りの境地にありながら、あえてこの世の煩悩に寄り添うために身を低くしている象徴とも解釈される。彼女(あるいは彼)の顔立ちは男性的でもあり女性的でもある。それは性別を超越した菩薩そのものの本質を表しており微笑みは口元だけでなく目じり頬のラインわずかに傾いた首の角度によって成立している。この微笑みはモナ・リザのように見る者を惑わせるものではなく、ただただ受容する。どんな罪も、どんな悲しみも、まずはここで預かります、と言わんばかりに。
視線を背後に移せば、そこには壁一面を覆う巨大な壁画が広がっている。これは14世紀、中国元代の壁画で、かつて山西省にあった広勝寺という寺院の下寺の壁を飾っていたものである。この壁画がなぜアメリカ中西部にあるのか。その経緯は20世紀初頭の中国と西洋の文化接触の、あまりに複雑で時に痛ましい歴史を反映している。1920年代、中国は混乱の時代にあった。寺は荒廃し修繕費用を捻出するために、やむを得ず壁画が切り離され海外へと売却されることになった。ネルソン・アトキンス美術館の学芸員たちは当時最先端の技術を駆使して、この壁画をキャンバスに移し現在の場所に設置した。壁画の主題は仏教の尊格が多数描かれた曼荼羅的な世界であり中央にはおそらく炽盛光仏(しじょうこうぶつ)が位置していたとされる。星宿や天体を司るこの仏の周囲には菩薩や天部の者たちが群れ宇宙の秩序を描き出している。この壁画と仏像の組み合わせには、ある重大な事実がある。それは本来この二つは同じ寺の同じ空間にあったものではない、ということだ。観音像は遼金時代の作であり壁画は元代のものである。時代が異なるだけでなく出どころの寺も異なる。つまり、この組み合わせは、美術館が意図的に創作したものであり歴史的には「あり得なかった」光景なのである。この事実を知った時、人はどのような感覚に襲われるだろうか。偽物だ、という違和感か。あるいは、より高次の真実がここに出現したという驚異か。
この空間には「調和」があるということだ。観音の柔和な存在感と壁画のダイナミックで少し恐ろしげな神々の世界が互いに引き立て合っている。観音は壁画のドラマを受け止め壁画は観音の孤高を支える背景として機能している。美術館の建築家たちは天井の高さ照明の角度、床の素材に至るまで、あたかも中国の寺院内部を再現するかのごとく設計した。その結果、ここには本来の歴史的な文脈を超えた、もう一つの「聖地」が誕生したのである。これは、ある種の文化の窃取であり再構築であり、そして創造である。中国から切り離され海を渡り、まったく異なる地で新たな意味を持って再生した宗教芸術。それはグローバリゼーションの原初的な姿とも言えるし、あるいは芸術には本来、国境も時代も超越する力があるという証左とも言える。この観音がなぜ岩場に座っているのか、その由来をさらに深掘りすれば、そこには唐代の画家、周昉(しゅうほう)の名前が浮かび上がる。水月観音の様式は彼によって創始されたとも言われている。それ以前の仏像は形式化された厳格なポーズをとることが多かった。しかし周昉は、より人間的で風景の中にたたずむ観音像を描いた。それが爆発的な人氣を博し、やがて彫刻にも応用されていった。
岩場は先に述べた補陀落山の象徴であると同時に中国の山水画の伝統と結びつき観音をより親しみやすい存在へと昇華させたのである。つまり、このネルソン・アトキンスの観音はインド発祥の仏教が中央アジアを経由し中国で土着化し、さらに文学や絵画と融合して、まったく新しい美の形を生み出した、その頂点に立つのだ。
その衣文(えもん)の流れるような曲線を見てほしい。布は重たげでありながら、風にたなびくような軽やかさをも兼ね備えている。胸元の装飾、腕輪、そして台座の蓮華。すべてのディテールが、ただの木の塊を神性を宿す器へと変えている。そして、その眼差しは永遠に何かを見つめている。それはこの部屋の来館者かもしれない。あるいは壁画の彼方に広がる宇宙かもしれない。アメリカの地で、この観音は何を思うか。故郷の中国山西省の山々は、もはや遠い過去の記憶か。それとも仏の目には国境も民族も人の作った幻想に過ぎないのか。
どちらにせよ和多志たちはこの像の前で、ただ小さくなることしかできない。言葉を失い、ただその存在の重みを受け止める。芸術が宗教と接する時、時に人は説明を超えた何かに触れることがある。この空間は、まさにそのための場所なのである。
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