エネルギーはなぜ消えないのか? 天才女性数学者が100年前のノートに答えを書いていた

エミー・ネーターが1918年に証明した定理は物理学の見方を根底から変えた。それは、この世界に存在する「保存則」が時空そのものが持つ「対称性」の必然的な帰結であることを示したからだ。たとえば物理法則が時間の経過に対して変わらないということは、いつ実験をしても同じ結果が得られるという当たり前の事実にすぎない。しかしネーターは、この「当たり前」がエネルギー保存則を数学的に強制していることを証明した。同様に物理法則が場所によって変わらない空間の一様性は運動量保存則を向きによらない回転対称性は角運動量保存則を、それぞれ生み出す。和多志たちが教育で覚えさせられた保存則のひとつひとつが実は空間と時間の性質に根ざしていたのである。

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この定理の革命的だった点は個々の保存則を「発見」する枠組みではなく「対称性を見つければ自動的に保存量が導出される」という統一的な視点を提供したことにある。それまでエネルギー保存則は熱力学の実験から運動量保存則は衝突の観測から、それぞれ独立に確立されてきた。しかしネーターの定理以降、物理学者は「どのような対称性が存在するか」を問うことこそが自然界の振る舞いを理解する近道であると氣づく。現代の素粒子理論が、まず対称性を仮定し、そこから法則を組み立てていく「対称性原理主義」と呼べる思考様式をとるのは全てこの定理の影響である。もっともネーターの定理が教えるのは「連続的な」対称性だけである。鏡映や時間反転のような離散的な対称性は一般に保存則を生まない。パリティが破れていることが発見された1950年代、物理学者は「ネーターの定理が破れた」と誤解するのではなく「そもそも連続対称性が存在しないから保存則もない」と正しく理解した。この区別は現代物理学の繊細な論理構造を支える重要な基礎となっている。

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ネーターの定理の深みは、むしろその適用限界にこそ顕在化する。一般相対性理論は座標変換の任意性という極めて大きな「対称性」を持つが、ここにネーターの定理を形式的に適用するとエネルギー・運動量の保存則に対応する保存量は恒等的にゼロになってしまう。ヒルベルトとクラインがこの問題に頭を悩ませていたまさにそのとき、ネーターは自身の論文の後半で、この一見奇妙な結果こそが一般相対論の本質であることを示した。無限次元リー代数の場合には保存量が自明になる場合があること、そしてそれが一般相対論の一般共変性に正確に対応することを彼女は証明したのである。この洞察は現代の量子重力理論が直面する困難と直接つながっている。一般相対論が持つ「時間の再パラメータ化不変性」は量子論の枠組みで扱うには非常に難しい性質でありループ量子重力や弦理論がいまだに「時間とは何か」という問いと格闘する理由のひとつである。ネーターの定理は一般相対論が保存則の空虚さを通して語りかける時空の根源的な構造をすでに100年以上前に指し示していたのだ。

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アインシュタインはネーターの論文を「数学的思想の記念碑」と称えた。しかし当時、この仕事の真価が広く認識されるまでには時間がかかった。クラインやベッセル=ハーゲンらがその重要性を説き、やがて物理学はネーターの定理なしには語れないものになる。現在ではゲージ理論、標準模型、超対称性、さらには物性物理学におけるトポロジカル秩序の理解に至るまでネーターの定理は形を変えながら生き続けている。人類が宇宙を見るとき無数の現象の中に保存される量を見つける。空間が均質だから時間が一様だから世界が回転に対して indifferent だからエネルギーは減らず運動量は引き継がれコマは倒れずに回り続ける。ネーターの定理は保存則を「そうなっているもの」から「そうでなければならないもの」へと引き上げた。物理法則の背後にある、より深い論理の階層を切り開いたのである。

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この定理が和多志たちに問いかけるのは、では「対称性」とはそもそも何なのか、なぜ宇宙はこれほどまでに多くの対称性を備えているのか、というさらに先の問いである。ネーターはその第一歩を、ひたすら数学の美しさを信じて書き記した。今日もどこかの研究室で誰かがその続きを対称性のさらにその先にある何かを書き続けている。

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