イタリア、トスカーナの陽光がフィレンツェの赤い屋根を優しく照らす頃、一人の女性が絹織物商人の家で静かな日々を送っていた。
彼女の名はリサ・ディ・アントニオ・マリア・ゲラルディーニ。人々は夫の姓を取ってリサ・デル・ジョコンドと呼んだ。1479年6月15日、古くはあるものの没落しつつあった貴族の家系に生まれた彼女は1495年に富裕な商人フランチェスコ・デル・ジョコンドと結婚しフィレンツェ社会でごく普通の、しかし恵まれた商家の夫人として生きていた。
1503年のある日、夫フランチェスコは特別な決断を下した。新たに購入した家と次男アンドレアの誕生を記念して肖像画を制作することを思いついたのだ。当時フィレンツェで評判は高かったが仕事を仕上げるのが遅いことで知られるレオナルド・ダ・ヴィンチに依頼がなされた。リサはおそらく流行の服装に身を包み工房で決められたポーズを取っただろう。当時30歳を過ぎたばかり、すでに数人の子を持つ母であり社会的身分を反映した服装と品のある態度で彼女は画家の前に座ったに違いない。
レオナルドの目には、この女性の何かが特別に映った。あるいは彼の芸術的探求心が単なる肖像画の依頼を超える何かを求めていた。画家は「スフマート」と呼ばれる独自の技法で輪郭をぼかし光と影を極めて繊細に描き分け始めた。リサの顔には特定の感情を断定できない微妙な表情が浮かび上がっていった。その微笑は幸せなのか、憂いを含むのか、あるいは何か深い内省の表れなのか誰にも断定できない曖昧さを持っていた。背景には現実には存在しない岩山と曲がりくねった川からなる幻想的な風景が広がった。
リサ自身は、この絵がどのような運命をたどるのか想像すらできなかっただろう。彼女の日常は夫の事業、子供たちの世話、フィレンツェの社交界における自分の立場に氣を配ることだった。5人あるいは6人と言われる子どもたちを育てながら16世紀のフィレンツェで貴族の夫人としての人生を歩んでいた。1542年7月、63歳ほどの年齢でこの世を去った時、彼女の遺族や知人たちが覚えていたのは一人の妻であり母である女性の、ごく個人的な思い出だった。
レオナルドの手によってリサの肖像は不思議な旅を始めていた。画家はこの作品を完成させた後、依頼主に渡さずに自分の手元に置き続けた。1516年レオナルドはフランス王フランソワ1世の招きに応じてアンボワーズへ移る際、この絵をイタリアからフランスへと持ち込んだ。そして1519年にレオナルドが亡くなった時、この肖像画は弟子のサライからフランス王の手に渡り王室コレクションの一部となった。
時は流れ、この肖像画は「モナ・リザ」あるいは「ラ・ジョコンダ」として知られるようになっていった。「モナ」はマドンナの短縮形、当時のイタリアで既婚女性に対する敬称であり、つまり「リサ夫人」という意味にすぎなかった。それがいつしか固有名詞のように、この一枚の絵を指す言葉となった。
数世紀の間、この絵のモデルが誰であるかは謎に包まれていた。レオナルドの愛人説、母説、果ては画家自身の自画像説まで様々な憶測が飛び交った。絵そのものが持つ神秘的な魅力がモデルの実在性を霞ませ神話的なオーラで包んでいった。ルーヴル美術館所蔵となりフランス革命後に一般公開されるようになってからは、その名声はさらに広がり西洋美術を代表する象徴的な作品となっていった。
そして21世紀、運命は再び動いた。
2005年、ハイデルベルク大学図書館で古い書籍の余白に書かれたメモが研究者の目に留まった。1503年10月の日付があり当時のフィレンツェの官僚アゴスティーノ・ヴェスプッチが記したそのメモには「レオナルド・ダ・ヴィンチは現在、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であるリサの肖像を描いている」とはっきりと書かれていた。この発見は長年の論争に終止符を打つ決定的な証拠となった。
リサ・デル・ジョコンドという一人の実在の女性がレオナルド・ダ・ヴィンチという天才の前に座った。その瞬間から彼女の顔は二つの異なる存在になった。一つは1542年に息を引き取ったフィレンツェの商家の夫人。もう一つは500年以上にわたって世界中の人々を魅了し続ける普遍的な美と神秘の象徴だ。
現代に生きる人々がルーヴルで目にするのは、もちろん後者だ。しかし、その微笑みの奥には忘れ去られたはずの一人の人間の生きた証が確かに存在する。彼女は5人以上の子供を産み育て夫とともにフィレンツェの社会で一定の地位を築き、友人を持ち、喜びと悲しみを経験した。彼女の人生の具体的な出来事のほとんどは歴史の闇に消えたがレオナルドがキャンバスに定着させたその瞬間だけが驚くべき鮮明さで現在にまで伝わっている。
この物語の真の不思議は一人の人間の肖像が、なぜこれほどまでに人々を惹きつけるのか、という点にある。技術的な完成度、革新的な技法、謎めいた表情。確かにそれらすべてがこの絵の魅力を構成している。しかしそれ以上に、この肖像の中に人間の普遍的な何かを見出しているのかもしれない。それは特定の感情ではなく感情そのものの可能性だ。悲喜交交の人生を生きるすべての人間が内に秘める複雑で矛盾に満ちた内面の反映を、この微笑みに感じ取る。
リサの肖像はモデルである個人の記憶から独立し独自の生命を歩み始める稀有な例と言える。彼女の名が歴史上に残ったのはレオナルドが彼女を描いたからに他ならない。しかし皮肉にも彼女の人生の具体的な詳細は、その偉大な肖像画の影に隠れてしまった。
フィレンツェの古い記録を読み彼女がどんな生活を送ったのか断片的に再構成しようとする一方でルーヴルの防弾ガラスの向こうで彼女のイメージは毎日何千という人々に見つめられ写真に収められ世界中に拡散され続ける。この分裂こそがモナ・リザの本質的な謎を構成している。
リサ・デル・ジョコンドは世界で最も有名な絵画のモデルとなったが彼女自身はそのことを知る由もなかった。彼女がレオナルドの工房で座っていた数時間、あるいは数日間の行為が数世紀後の未来にこれほどの文化的現象を生むことになるとは想像すらできなかっただろう。
それは歴史の偶然が生んだ最も詩的な共鳴の一つと言える。
この物語を知ることでルーヴルのあの微笑みを見る目が少し変わるかもしれない。そこには一人の人間の人生の断片、一つの時代の空氣、そして芸術が時間を超える力が、すべて層をなして存在している。リサは自分が死後500年を経て、なおも世界中の人々に「見られる」存在になるとは思わなかった。しかし彼女の肖像は芸術の永続性、人間の創造力の驚異、そして個人の運命が歴史の流れの中でいかに予測不能な軌跡を描くかを力強く語り続けている。
フィレンツェの陽光は今も変わらず彼女がかつて歩んだ石畳の路地を照らしている。そしてパリでは彼女の微笑みが新たな世代の訪れを待ち続ける。二つの都市、二つの時間を結ぶのは一枚の絵画だけだ。
その絵にはリサ・デル・ジョコンドという一人の人間の消えることのない生の痕跡がレオナルド・ダ・ヴィンチの筆によって永遠に刻まれている。
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