灼熱の太陽が砂岩の丘陵を焼き付けるシナイ半島北部のワジ・アル・ムラ地区において2023年度の発掘調査中に驚くべき発見をした。
新王国時代第19王朝期(紀元前13世紀)のものと推定される保存状態の良好な岩窟墓が、ほとんど盗掘の被害を受けることなく眠っていたのである。
墓は一見すると質素な玄室のみの構造であるが内部に入った瞬間、調査団員全員が息を呑んだ。
壁面全体が鮮やかな色彩で埋め尽くされ3000年以上の時を経てもなお褪せることない輝きを放っていたのである。
壁画に描かれた主題は典型的なエジプト様式の葬儀シーンや神々の図像でありながら細部に注目すると幾つかの不可解な点が浮かび上がってきた。
西方の女神ハトホルを思わせる女性像が通常のエジプト美術では見られないアーモンド形の瞳を持ち髪にはメソポタミア起源の金の月輪飾りを付けている。
供物を運ぶ侍女たちの衣装はエジプトの亜麻布ではなく明らかにアナトリア様式の刺繍が施された羊毛のローブをまとっている。
さらに副葬品の分析からはエジプトのファイアンス焼きのビーズと並んでアフガニスタン産のラピスラズリやトルコ石で作られた装身具が混在していることが確認された。
最も興味深い発見は玄室北壁に描かれた等身大の女性肖像であった。
その顔貌はルクソールのクイーンズの谷に眠るネフェルタリ王妃墓(KV66)の壁画に描かれた「最も美しい」王妃の面影を明らかに引き継ぎながらも目の形状や口元の表現にシリア・パレスチナ地方の美術的特徴が認められた。
碑文研究チームの解読によれば、この女性は「外国の女君主」を意味する「ヘカト・カセムト」という称号で呼ばれておりラムセス2世の治世第25年にあたる年次が記されていた。
これらの証拠は、この墓の被葬者がエジプト王朝とアジア系民族の間に生まれた貴族、あるいは政治的婚姻によってエジプトにもたらされた姫君であった可能性を強く示唆している。
被葬者の特定に向けた調査が進む中で墓の立地条件そのものが重要な手がかりを提供した。
この墓はエジプト本土とアジアを結ぶ古代の交易路「ホルス Way」のほぼ中間点に位置しており、まさに文化交差点の真っただ中に築かれていたのである。
この地理的条件は墓の様式や副葬品に混在する文化的要素を説明するのに十分な理由となる。
おそらく被葬女性はエジプトとアジアの双方にルーツを持つ家系に生まれ両文化の架け橋となる役割を期待されて育ったのではないだろうか。
あるいは戦略的婚姻によってエジプト王室に嫁ぎ故郷の文化をエジプトにもたらすと同時にエジプトの習慣を異郷で実践するという二重の文化的役割を担わされた女性であった可能性もある。
この発見は古代エジプト文明をナイル河谷に閉じた純粋な「アフリカ文明」として捉える従来の見方に根本的な再考を迫るものとなった。
現代の人類がスエズ運河を大陸の境界と見なすように古代人もまたシナイ半島を自らの文化的アイデンティティを越えた「異界」として認識していた可能性が高い。
しかしながら、この墓が示唆するのは文化的境界というよりも、むしろ文化が混交し変容する「接触領域」としてのシナイ半島の姿である。
ネフェルタリの名が「美しい」を意味するように、この無名の女性もまた二つの世界の「美」を一身に体現する存在として葬儀が執り行われたに違いない。
ギザのピラミッドが巨大な王権の象徴であるなら、このシナイの彩画墓は古代世界における文化融合の証人と言えるだろう。
墓の保存処理と詳細な記録化作業が完了した今、この発見の学術的意義を深く考察している。
この墓は単に「エジプト墓」または「アジア墓」と分類できるような単純なものではなく、両文化が交差する第三の空間を具現化している。
被葬女性のアイデンティティは固定された文化的カテゴリーに収まるものではなく国境を越えた移動と交流によって絶えず再構成される流動的なものであったに違いない。
この発見は現代の国民国家の枠組みを過去に投影することの危険性を警告すると同時に、古代世界の複雑な文化的相互作用について新たな研究の道を開くものである。
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