人類の歴史は、その肌の色や生まれた土地によって運命を分けられた者たちの消えることない傷の物語で満ちている。
ネイティブアメリカンと呼ばれる人々の歩みは、その残酷さにおいて極限まで研ぎ澄まされた鏡のように人間の文明が「進歩」の名の下に何を隠し何を踏み潰してきたかを無言のまま映し出す。
彼らは土地を奪われ、子どもを奪われ、神を奪われた。
そして社会はその傷跡を「歴史」という言葉で薄めようとしている。
15世紀、ヨーロッパから来た者たちが「新大陸」と名付けた土地には既に万年を超える時を刻んだ文明が息づいていた。
アナサジの断崖に刻まれた日時計、カホキアの巨大墳丘、イロコイ連邦の憲法。
それらは「未開」などではなく人類の多様性が生んだ輝きそのものだった。
しかし鉄砲と聖書を手にした侵略者たちは彼らを「獣」と呼んだ。
肌の色が違うという理由で魂の価値まで否定する言葉を神の名を借りて正当化した。
最初の傷は「接触」という名の伝染病だった。
天然痘の毛布。
イギリス軍が意図的に配布した感染毛布は部族の90%を死に至らしめた。
ニューイングランドの海岸では先住民の子どもたちが親の腐乱死体の傍らで飢え啼く声が消えるまで白人は船から眺めていた。
この時、人類は「効率的な虐殺」という悪魔の技術を初めて完成させた。
19世紀、アメリカ政府は条約という偽りの言葉で土地を奪い続けた。
砂漠の真ん中に「居留地」という名の強制収容所を築き、水も希望もない場所に追いやった。
チェロキー族が「涙の道」で吐き尽くした血はジョージアの土を赤く染めた。
兵士たちは妊娠した女性の腹を銃剣で裂き「混血の子は産むな」と笑った。
生き延びた者ですら、その後数十年にわたり「アメリカ人らしい名前」を強制され先祖代々の言葉を話せば舌に針を刺された寄宿学校で自分が何者だったかを忘れるよう躾けられた。
20世紀になっても暴力は形を変えて続いた。
ウンデット・ニーの虐殺で雪原を赤く染めた弾丸は1973年の「ウンデット・ニー占拠事件」で再び炸裂した。
FBIの装甲車がスー族の活動家を包囲し銃撃戦の末に遺体は凍土に埋められたまま放置された。
パインリッジ居留地では今も、水道水からウランが検出される。
先住民女性の行方不明率は他の人種の10倍。
警察は「また酒に溺れた娼婦だろう」と報告書に書き込む。
しかし、最も深い傷は「消去」という暴力だ。
ハリウッドは彼らを「馬に乗る野蛮人」として定型化しスポーツチームは「レッドスキンズ」という差別名で商標登録した。
小学校の歴史教科書は「開拓者の偉業」だけを教え先住民の抵抗は「虐殺」ではなく「戦い」と書き換える。
現代の子どもたちでさえ感謝祭の劇で「友好的なインディアン」の役を押し付けられ自分たちの先祖が実際には虐殺の直後に祝宴が開かれた事実を知らされない。
傷は遺伝子に刻まれる。
アルコール依存症、自殺率、貧困。
これらは「個人の責任」などではなく文字通り文化の根を断たれたトラウマの現れだ。
カナダの寄宿学校跡地で見つかった215体の子供の遺骨は氷河のように冷たい真実を突き付ける。
教会の地下室で餓死した幼い骸の指先には親から隠し持たせた貝殻の護符が握られたままだった。
人類は彼らの「復活」という奇跡を目撃している。
ラコタ族の若者が太陽の踊りで先祖と対話し、ナバホ語のラップがSNSでバズる時代だ。
アリゾナの砂漠ではホピ族の長老が古代の予言をSNSで発信する。
しかし、この再生は決して「和解」などという生易しいものではない。
傷口が塞がるとき内部で何が起こっているか。
彼らが奪われたすべてのもの。
土地も、言語も、神々も。
決して返せない。
だが、少なくともこの傷を「過去の過ち」として封印するのをやめられる。
パインリッジでウラン鉱山に抗う少女の横に立ちアラスカで石油パイプラインと対峙する長老の声を増幅させ博物館に盗まれた聖なる品々を返還させる運動。
それが生きている者に課せられた最低限の贖罪
大地は血を覚えている。
グランドキャニオンの岩肌にはネバジョ族の創世神話が浸み込んでいる。
ミシシッピ川の水はチェロキー族の涙で塩辛い。
人間が「国家」と呼ぶこの幻想の下には消えない傷跡が脈打っている。
それを無視して歩く限り真の進歩などあり得ない。
彼らの痛みは人類全体の原罪であり癒やしとは、まずこの事実を直視することから始まる。
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