人類は「記録」という名の鎖で自らを縛り、都合の良い物語だけを「歴史」と呼んできた。
シュメールの粘土板に刻まれた楔形文字、エジプトのパピルスに描かれた『死者の書』インドの『リグ・ヴェーダ』が詠う神々の賛歌、中国の『易経』が伝える宇宙の理。
これらは権力者が選び、残し、書き換えた「勝者の記憶」だ。
人類が信じる「最古」の概念すら真実の一片に過ぎない。
紀元前3300年、メソポタミアの地で生まれた粘土板は数字と物資の記録として始まった。
それが「文明の始まり」だと教わるが、なぜか誰も問わない。
その前に何があったのか? タルタリアの粘土板が示す紀元前5300年の謎の記号は文字なのか、それとも失われた文明の痕跡なのか?
考古学は都合の悪い発見を無視し教科書はシュメールを「最古」と断定する。
だが、ピラミッド・テキストが刻まれた紀元前2400年のエジプトでは既に死後の世界観が完成していた。
『死者の書』はその集大成だが、その思想はさらに古く、おそらく口承で何千年も遡る。
では、文字以前の人類は何を語り継いでいたのか?
『リグ・ヴェーダ』は紀元前1500年から口承で伝えられた。
文字化されたのはずっと後世だ。
なぜこれほど正確に伝わったのか? ヴェーダの祭司たちは音節一つも誤らぬよう神聖な言葉を暗唱したという。
しかし、その「正確さ」こそ疑わしい。
権力は都合の良い改変を「正統」と呼ぶ。
『易経』も同じだ。
伏羲の伝説は5000年前に遡るとされるが現存する最古の竹簡は紀元前4世紀のもの。
その間、何が削られ何が付け加えられたか誰も知らない。
そして『ギルガメシュ叙事詩』大洪水の神話は聖書のノアより千年以上古い。
つまり歴史は繰り返し書き換えられ真実は意図的に隠される。
「常識」と思っているものは支配者が作った虚構だ。
エジプトのパピルスも、メソポタミアの粘土板も、ヴェーダの賛歌も、易経の卦も。
すべては「選ばれた記憶」に過ぎない。
真実はどこにある?
おそらく文字以前の口承に焚書で消された異端の記録に、考古学が無視する遺物の中に眠っている。
人類は「最古の書物」などと安易に信じてはならない。
それらは権力が残した「最初の嘘」かもしれないのだ。
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