序にかえて 一つの決定が国を変えた
1985年、日本は世界の工場だった。トヨタはデトロイトを打ち負かしソニーはアメリカのリビングルームを制圧し三菱はあらゆる大陸で事業を拡大していた。日本の資本はロックフェラーセンターを買い、ペブルビーチを買い、コロンビア・ピクチャーズさえ買収した。アメリカの新聞は連日「日本がアメリカを買っている」と書き立てた。今日の中国を見るような目で世界は日本を見ていた。
その年9月22日、ニューヨークのプラザホテル。米・日・独・仏・英の5カ国財務相が集まり一つの合意に署名した。円高への誘導。3年で1ドル240円から120円へ。日本製品の価格は国際市場で瞬時に2倍になった。輸出は崩れ製造業の収益は根底から揺らいだ。
ここから日本の「止まった40年」が始まる。
だが、これは「外圧」の物語ではない。本当の問いはもっと深い場所にある。なぜ日本は、その後に訪れた分岐点で再生への道を選べなかったのか。なぜ一つの挫折が一世代を超える停滞へとつながったのか。
この問いを解くには経済政策の失敗という表層をはがし日本という国の「意思決定の構造」と「想像力の限界」にまで降りていく必要がある。
第一章 バブルという名のモルヒネ
プラザ合意後の急激な円高は輸出立国・日本にとって文字通りの衝撃だった。日本銀行と大蔵省(当時)がとった対応は徹底的な金融緩和である。金利は5%から2.5%へ、さらにゼロへと引き下げられた。
この政策の意図は明確だった。円高で打撃を受けた製造業を低金利で支える。しかし実際に起きたことは、まったく別の現象だった。
企業は借りた金を設備投資や技術開発に回さなかった。代わりに株式を買い、土地を買い、ゴルフ会員権を買った。製造業の利益率が円高で圧縮されるなか資産運用の方がはるかに「合理的」だったからだ。ここに日本の産業資本主義が金融資本主義へと変質する原点がある。
1985年から1989年までに東京の不動産価格は3倍になり、一時は「東京の地価でアメリカ全土が買える」と言われた。日経平均株価は38,957円の史上最高値をつけた。この数字を日本は35年以上経った今も更新できていない。
バブルとは何だったのか。それは「痛みを先送りする装置」だった。円高という構造問題から目をそらし資産価格の上昇という麻酔で一時的な高揚感を得たにすぎない。そして麻酔が切れたとき、日本はバブル崩壊という覚醒に耐えられなかった。
第二章 「創造的破壊」を拒否した国の末路
1990年、バブルは弾けた。株価は暴落し不動産は紙くずになり銀行の貸出は焦げついた。ここまでは、どの国でも起きうる危機だ。
問題は、その後の対応である。
通常、資本主義経済では破綻すべき企業は破綻する。工場は閉鎖され、従業員は解雇され、資産は競売にかけられる。その資源を新しい企業が引き継ぎ、より生産性の高い事業が生まれる。これがシュンペーターの言う「創造的破壊」であり資本主義が危機から回復する基本的なメカニズムだ。
日本は、これを拒否した。
銀行は不良債権を処理する代わりに帳簿の上で隠蔽した。政府は公的資金を注入し本来なら市場から退出すべき銀行を延命させた。その銀行は本来なら倒産すべき企業に「追い貸し」を続けた。こうして生まれたのが、いわゆる「ゾンビ企業」である。利益を生まず、成長もせず、ただ借金の返済だけを続ける企業。これが日本経済の広範な領域を占めるようになった。
その代償は計り知れない。
ゾンビ企業が資源(ヒト・モノ・カネ)を握り続けたことで新規参入が阻害された。1990年代アメリカではGAFAに代表される新産業が次々と勃興したが日本ではその動きが決定的に欠如した。人材は大企業に滞留し銀行融資は既存企業の延命に回され産業構造の新陳代謝は凍りついた。
日本が止まったのは円高のせいではない。シュンペーターの「破壊」を拒否したがゆえに、その後にくるはずの「創造」もまた失われた。これが「失われた30年」の核心である。
第三章 円キャリートレードという皮肉
この間、世界の投資家は日本の「停止」を巧みに利用した。日本の金利がゼロである一方、海外の金利は5%から10%で推移していた。ここに成立したのが「円キャリートレード」である。東京で円を借りドルやユーロに換えて高金利通貨で運用する。金利差がそのまま利益になる。
この仕組みは日本から膨大な資本を吸い上げた。本来なら国内の投資や消費に回るべき資金がアメリカ国債や新興国市場へと流出した。日本の金融緩和は日本経済を再生させる代わりに世界の投資家に安価なレバレッジを提供する装置と化した。
ここに深い皮肉がある。
日本は「貯蓄の国」と呼ばれてきた。国民は勤勉に働き慎重に貯金し世界最大の対外純資産を築いてきた。ところが、その資本の多くは「日本を再生させる」ために使われず海外の成長をファイナンスし他国の投資家を富ませるために使われた。生産する国は資本を国内で循環させる。融資する国は資本を流出させる。日本は後者の道を歩み、そしてその結果は順位というかたちで容赦なく現れた。
終章 日本が問われているもの
1989年、日本は世界第2位の経済大国だった。2024年にドイツに抜かれ4位に2026年にはインドに抜かれ5位に転落した。37年で2ランク下がったことになる。
これは悲劇なのか。たしかに当時持っていた潜在力を思えば痛恨の停滞である。日本には世界一の生産技術があり先駆的な技術開発力があり模範的な規律と伝説的な勤労倫理があった。超大国になっていてもおかしくなかったが、そうならなかった。
この物語を「衰退」と決めつけることもまた正確ではない。日本は戦争も自然災害もパンデミックも経験しないまま平穏のなかで緩やかに後退していった。失業率は低く保たれ社会は安定し治安は世界最高水準にある。激しい破壊を伴う構造改革を選ばなかったことは一面では痛みを回避する「選択」でもあった。
問題は、その選択の付けを誰が払うのか、だ。
金融庁のデータによれば2024年時点で日本の政府債務はGDP比250%を超え世界最悪の水準にある。社会保障費は膨張を続け少子化は加速度的に進行している。日本がゾンビ企業を延命させたように、いままた財政と社会保障という巨額の「先送り」が進行中である。この付けを払うのは現在の政策決定者ではない。いま20代、30代の世代であり、これから生まれてくる子どもたちだ。
日本が本当に問われているのは「過去の失敗を直視できるか」である。外圧のせいにするのは簡単だ。バブルの記憶を美化するのも簡単だ。しかし、そうしているうちに問題は深くなる。円キャリートレードで資本が流出するように先送りの時間が長引けば長引くほど日本再生の可能性そのものが世界に吸い上げられていく。
止まった40年は、まだ終わっていない。
この国が再び動き出すか、それとも緩やかな後退を永遠の安定と甘受するか。その答えを出すのは、これからの日本に生きる和多志たち自身である。
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