マルタの大包囲戦(1565年)は地中海の覇権を争うキリスト教世界とオスマン帝国の命運を懸けた壮絶な攻防として歴史に刻まれている。
聖ヨハネ騎士団は圧倒的な兵力を誇るオスマン軍に対し驚異的な戦術と不屈の精神で立ち向かいヨーロッパ史に輝く勝利を収めた。
この戦いの背景には騎士団の苦難の歴史とオスマン帝国の拡大という二つの潮流が交錯していた。
聖ヨハネ騎士団は11世紀にエルサレムで巡礼者保護を目的として誕生したが聖地失陥後はキプロス、ロドスと移り1522年にはオスマン帝国によってロドス島を追われた。
神聖ローマ皇帝カール5世からマルタ島を与えられた騎士団は、この地を難攻不落の要塞に変えオスマン帝国の地中海進出に対する防波堤としての役割を担うことになる。
一方、スレイマン1世率いるオスマン帝国はマルタ島を制圧することで西欧への侵攻路を確立しようと企てていた。
1565年5月オスマン帝国は4万の大軍を率いてマルタに襲来する。
対する騎士団は70歳のグランドマスター、ジャン・ド・ヴァレットの下、わずか700人の騎士と8千余りの兵士で迎え撃った。
戦いはまずセント・エルモ砦の攻防から始まる。
オスマン軍はこの砦を短期間で落とせると思っていたが騎士団の激しい抵抗に遭い砦が陥落するまでに1か月以上を要し8千もの損害を出した。
この遅れが戦局の転換点となる。
セント・エルモ砦の犠牲により時間を稼いだ騎士団は本拠地であるビルグとセングレアの防衛体制を強化した。
オスマン軍は陸海から猛攻を加え攻城塔や地下トンネルを使った斬新な戦術も駆使したが騎士団は火船や巧みな反撃でこれらを退けた。
炎天下での長期戦はオスマン軍の兵士を疲弊させ疫病も蔓延していった。
ジャン・ド・ヴァレットは自ら前線に立ち負傷しながらも指揮を執り続け守備兵の士氣を鼓舞した。
戦いの決着は9月にもたらされた。
シチリアから到着した援軍がオスマン軍の背後を衝き撤退を余儀なくさせたのである。
オスマン軍は2万5千以上の将兵を失い地中海西方への野望は潰えた。
騎士団側も多くの犠牲を出したが、この勝利はキリスト教世界に大きな希望を与えオスマン帝国の進撃を食い止める画期的な事件となった。
マルタの大包囲戦は数では劣る軍が地形と要塞を活用し卓越した指揮官の下で団結すれば強大な敵に打ち勝てることを示した戦いとして後世に語り継がれている。
ジャン・ド・ヴァレットの名は首都バレッタに刻まれマルタ島の要塞群は今日もなお、あの歴史的勝利の記憶を伝え続けている。
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